☆きらり阿波女☆

みなさん、10月7日の徳島新聞朝刊みていただき、ありがとうございました。

私自身もドキドキしながら、この日を待っていました。

Facebookのメッセージに取材依頼のメッセージが来たのは先月末。

 

術後6年目を間もなく迎える私にとって、

なんて偶然!? 必然!? 運命!?

とも思えるタイミングでした。

 

すぐに取材承諾の返信をしました。

実名と顔を出しての取材をこちらからお願いしました。

しかも図々しいことに『名前と顔を出すから、かわいく撮ってください。』

とまでリクエストを添えて・・・(笑)

直接の取材は、それから間もなくでした。

雨女の私でしたが、その日は珍しく晴れ。

約3時間の取材。

その間、私の体験や想い、そして現在を、いつもの弾丸トークでお話しました。

Sisterのつぶやきを全て読んでくださってたので、取材もスムーズに進みました。

 

そして写真撮影。

いつもは記者さんが自分で撮影するそうですが、私があんな事を言ったせいで

わざわざカメラマンさんを連れてきてくれていました。

徳島新聞社から少し歩いた徳島城公園で撮影してもらいました。

 

今までろくに顔を出して取材に応じたことが無かったのでカメラを向けられても

カメラをじっと睨む私・・・。

それを見て、カメラマンさんが「はい、笑顔~」と、声をかけてくれたり

記者さんも子どもをあやすように手を振ってくれたり。

自分でリクエストしときながら、とっても手がかかったのではないかと思います。

 

カメラマンさんのテクニックと自然のパワーで、とっても素敵な写真になりました!!

 

いや~

 

その気になっている顔してますね(笑)

 

この日のためかのように、母が買ってくれた

ワンピースでおめかししました。

 

そして、自慢のロングヘアーもアピール。

抗がん剤で坊主になった私の頭。

でもこうして今では、昔のようなロングヘアーで楽しめるようになりました。

 

フェイスケアよりもヘアケアの力をいれてますのでね!!

撮影が終わり、原稿のチェックをし、あとは新聞を待つのみ。

でも、私の心は揺れていました。

やはり実名・顔を出すことに対して。

 

私は自分自身を守るために、6年前に友人の連絡先を抹消し、

SNSでは友達申請される前にブロック。

友人からメールが来ても返信しない。

病気のことは隠して隠して隠して生きてきました。

本当に一握りの人にしか言ってません。

言えませんでした。

 

『今までせっかく隠してきたのに…』

『ようやく落ち着きを取り戻したのに、哀れな目で見られるかもしれない』

『このまま隠す方が自分のため』

 

色んな思いが渦巻き、やっぱり実名と顔は伏せてもらおうかとも思いました。

術後6年がようやく迎えることができ、今のところ病状も変化なし。

仕事だって復帰して、精神的にも落ち着いてきた。

やっと、やっと、昔のような普通の生活に戻ってきた。

それなのに、記事になることで、また私の人生が崩れるのでは…。

とっても不安でした。

 

 

でも、どこかで、隠すことにつかれた自分。

病気のことを認めたい自分がいました。

 

『もう6年目、新しいステージにステップアップしたい』

『6年たったから誰も私をかわいそうだなんて思わないよね』

色々と頭を悩ませ、そう思うようになりました。

そして待ちに待った昨日。

 

ビックリでした。

こんなに大きな記事になってるなんて…!!

 

ちょっぴり恥ずかしい気持ちと、すっきりした気持ち、そしてホッとした気持ち。

記事をじっくり読みながら涙が溢れました。

 

『もう隠さなくてもいいんだ』

『堂々としていいんだ』

 

そして

『よくここまで生きたな』

 

なんだか自分をほめたくなりました。

若年性乳がんは乳がん全体の5%以下の極少数です。

そのせいか『若いのに・・・』『かわいそう』と言われることも少なくありません。

また若いというだけで予後が悪いという誤ったとらえ方をされ傷つくこともあります。

 

25歳で乳がんになった私も31歳。

写真を見てください。

がん患者に見えますか??

 

正しい知識をもって接してほしい。

若年だからと言って特別なことではない。

 

私はこれからも、がんと生きていきます。

 

取材して下さった木下記者、かわいく撮ってくれた山田カメラマン

実名・顔を出した取材でも応援してくれた私の家族

あけぼの会のみんな

遠く離れた場所でいるたくさんのサバイバー友達&Sisterのみんな

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

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聖路加サマースクール2018

 

 

今年も参加しました。

 

聖路加サマースクール。

 

今年のテーマはHBOC and Beyond

 

たくさんの気づき、学び、想いで溢れました。

 

今年で4年目の参加、元気に毎年参加できるのが励みでもあります。

 

充実した2日間でしたが、やはり私も1人の若年性乳がんサバイバー。

 

色んな気持ちが心の中でグルグル回りました。

 

 

“遺伝”のことを聞いて内心穏やかではありませんでした。

 

私は乳がん発症当時25歳。HBOC:遺伝性乳がん卵巣がんの拾い上げに該当します。

 

でも当時はお金もなかったし、乳がんになった後で調べて何になる!!ということで遺伝子検査はしませんでした。でも、ここ数年で親戚に乳がん患者が・・・。このことで、自分にHBOCが少し濃厚になってたように感じました。サマースクールを終えて遺伝子検査を受けようかどうか悩んでいます。

 

 

 

もしも遺伝子のバリアントが自分に見つかったら…。

 

予防的乳房切除??
予防的卵巣卵管切除??
それとも経過観察だけにする??

 

 

 

HBOCの場合乳がんのリスクだけでなく、卵巣癌のリスクも抱えていることになります。

検査をしても見つかりにくくて、わかったときには進行してることが多い。遺伝が原因でなった卵巣の場合、再発率も高くて予後も悪い。

 

 

 

今の私には遺伝子のバリアントが見つかっても受け入れることができないかもしれないです。

 

乳がんになったことだけでもショックで、未だに受け入れたくないのに、それにプラス、対側乳房もがんになるかもしれない、そして卵巣がんにもなるかもしれない。

 

怖すぎる。

 

これから先、どんなに健康的な生活をしても自分はがんになってしまうんだ。

 

今のこんなに楽しい時間は続かないんだ…。

 

きっとこんな思いが巡ってしまう。

 

 

 

それなら、リスクを恐れてこれからずっと生きていくよりも、知らなくて、なったらその時!!‼️って思う方が気持ちが楽じゃないかと今の自分は思っています。

 

バリアントがあったら、発症しなくても、あるいみ、2度目のがん告知。

 

なることよりも、なるかも知れないことを知りながら生きる方が恐い。

 

でも何かのきっかけで今後、遺伝子検査を受けることを考えてもいいのかなって、今は思っています。

 

どんな結果が返ってきても自分で受け入れることができるようになってからでも遅くないよね。

 

 

遺伝子検査、私の勤務する施設ではしていません。

 

なので今回のセミナーは知識全くの0で参加しました。そして自分自身も遺伝子検査を受けていなかったので、関心も薄かったです。

でも、知っておかなければならないトピックスなんだなって改めて感じました

 

 

 

乳がんの分野において遺伝子検査は、ただたんにオラパリブが適応するかどうかの検査のように広まっています。

 

 

オラパリブ:がん化学療法歴のあるBRCA遺伝子変異陽性かつHER2陰性の手術不能又は再発乳癌の治療薬として適応が拡大しました。

 

再発乳がんサバイバーは最後の望みをかけて遺伝子検査を受けます。

 

「陽性であるように・・・」

 

でももし陰性だったら・・・。

 

逆に陽性だったら・・・。

 

それぞれ、考えないといけません。

 

 

 

陽性であった場合、自分以外の家族に結果を伝える??
(自身の兄妹や子どもにもリスクを抱えているかもしれません)

 

家族は結果を知りたいかどうか??
もし結果が出るまでに自分がいなくなったら
誰がどのように伝える??
それとも結果は葬る??

 

 

 

初発の人のように再発転移の人は時間がありません。

 

だけど、検査を受けるにためにたくさんの事を考えて決断しなければならない。
時に失望、自責の念を抱えることになることだってある。

 

 

 

そういう時にチームでどう支えるか。
とっても難しいなぁ

 

『知る権利』 『知らない権利』 

 

それぞれの権利を持っています。

 

自身がどうしたいのか。どうありたいのか。

 

それによってどっちの権利を自分は選ぶのか。

 

医療従事者としてリスクとベネフィットをしっかり伝えて、患者が自身でよい選択ができるようにサポートしないといけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

もっともっと勉強するとともに、私も自分自身のことを考えていかないとね。

 

 

 

来月で術後6年目。

 

新たなステージへステップアップ目指さねば!!

 

 

               ↑

セミナーの後に銀座に遊びに行くとスパーダ―マンがいました。

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平成最後の夏っ!!!

たいへんお久しぶりです。

私は元気元気で春に受けたPET-CTも問題なし!!

あとは手術記念日の10月を待つのみです!!

5年前はこんなに長生きできるとは思っていなかったので、

本当に自分の命は助けられたものなんだって実感…(´;ω;`)

 

さて、平成最後の夏。

みなさんは何をして過ごしましたか?

 

私はというと…

 

春からSisterの仲間と共に月に2~3回の婚活パーティーに出向き

年齢も性別も違う方たちと楽しく話をしたり食事をしたりしていました(笑)

もう30歳を過ぎた私…。

本当の意味で最後の夏だ…( ;∀;)

 

婚活でご縁が無くてもSisterの仲間と一緒に参戦なので楽しいです。

二次会的なかんじで小料理屋に行ってご飯を食べたり。

次に行くパーティーの打ち合わせをしたり(笑)

 

乳がんになって約6年。

乳がんになった後の方が毎日楽しいです!!!

世の中の若年性乳がん女子達の恋愛事情はどうなんだろう…

ブログでつながった同年代のサバイバーさんは手術の後に素敵な彼ができて結婚したと

ブログの中でご報告がありました☆彡

 

一人の女の子として参加してるけど、どこか乳がんのことが頭をよぎって

「病気を隠している」 「嘘をついている」

と自分で感じてしまうことがあります。

 

でも婚活パーティーで自己紹介の時に「私は乳がんです!!」

なんて明るく言えるわけないじゃんね。

でも、そのうち私も大切な人に乳がんのことをカミングアウト

しなくっちゃいけない時が来るんだな…。

 

以前までは恋をするたびに思っていました

「がんじゃない自分で出会いたかった」

って。

 

でも、今は自分を語るうえで“乳がん”はなくてはならないものになってます。

31年生きてきて、1番のBIGイベントは乳がんになったことだから。

辛くて悲しくて悔しいけど、がんの体験を乗り越えて今の自分がいるから。

 

もし大切な人ができたときに胸を張って自分の病気のことが言えるように

もっともっと素敵女子になりたいな!!!!

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未来の行方

 

 

 

まさか乳がんから命を救うための抗がん剤治療で、将来、子どもを産むことが難しくなるかもしれないなんて思ってなかった。

 

 

2012年25歳の時に乳がん患者となり、あれよあれよという間に検査・手術を行い、これから仕上げに抗がん剤治療を行うことになりました。

その際に、主治医から一般的な副作用の他、卵巣機能が低下し将来妊娠することが難しくなるかもしれないと告げられました。

でも今ある妊娠する力を残す方法があることも説明されましたが、当時の私は

【時間なし】【金なし】【彼氏なし】の三拍子が揃っていました。

なので、治療が終わってからの自分の体を信じて治療に臨むことにしました。

 

将来子どもを産める体より、再発なく元気に過ごすことのできる体を守るほうが

今の自分には必要だと思いました。と、いうよりは、自分が家族を持つというイメージがまだまだ湧かなかったということもあります。

抗がん剤をすればすぐに生理が止まると思っていましたが、実際は違いました。EC4クールが終わり、パクリタキセルとハーセプチンの併用が始まりましたが、すぐには生理は止まりませんでした。

 

「私、若いから、もしかすると生理、止まらないかも!」と変な自信まで持っていましたが、ついにその時は来ました。

抗がん剤を始めて約半年。ついに止まっちゃいました…。

毎月の腹痛、煩わしさから解放されたのは、とても心地いいのですが、当時の私は【生理がある=妊娠できる】と思い込んでいたのでガッカリしました。

生理が止まってすぐの頃は、さほど気にもせずに生活していました。

 

 

治療もハーセプチンだけになり、暖かい春になり、外に出かける時間も増えだしたころ、街中で小さな子どもと手をつないだ家族の姿、大きなおなかを愛おしそうな顔で見ている妊婦さんが目に入るようになりました。

治療も折り返し時点、髪の毛も少しづつ生えてきて、抗がん剤の副作用が抜け出しているのに、心だけはどんどん重く、苦しくなっているのを実感しました。

 

 

自分の目に映る他人が、私が将来歩みたかった人生を歩んでいる。

乳がんにならなかったら、自分も今頃…。

なんで私だけ…。

 

色んな思いが炸裂し、不安定な日が続きました。

夜も寝れない、不安な気持ちでいっぱい、訳も分からなく涙が出る。

友達の妊娠・出産報告、妹の妊娠ですら疎ましく感じていました。

そんな気持ちになっている自分に嫌悪感を持って、また落ち込む。

 

 

「将来の妊娠する力を残すために今、何かできないのかな?」

そう思い、主治医に相談して他の医療施設に紹介してもらうことにしました。

 

紹介状を握りしめ、約3時間は待ちました。

周りにはお腹の大きな妊婦さんもたくさんいました。

見ると羨ましく疎ましく感じるので、目をつぶって待っていました。

 

 

ようやく診察室に呼ばれました。

入ってすぐに婦人科検診をすると言われたので、術後すぐに子宮頸がん卵巣がんの検診を受けたことを伝えると『じゃあ、今日は何をすればいいん?』と、一言。

ここを受診するまでの経緯を伝えると、具体的な数字を出して教えてくれました。

私は不妊治療に関する知識が無かったので、もし生理が止まったままになった場合、子どもを産むことはできるのか?詰め寄るように必死になって質問をしました。

最後にはその医師は、必死になってしゃべっている私に手でストップをかけ、面倒くさそうにため息をつきながら、椅子に背をもたれ『半年たって生理が戻ってこなかったら妊娠は諦めなさい。』と言いました。その言葉がショックで、すぐに診察室を出て、駆け込んだトイレの中で大泣きしました。

 

 

その後、その医療施設にいる緩和ケア認定看護師さんとお話する機会がありました。あまりにもショックだったので、誰にも話したくなんかなかったけど、友人の紹介だったので会うことになりました。

まずはじめに、この前の出来事、すごく辛かったことを告げると、その看護師さんは『私も同じ立場だったら、一番にそのことを心配する。』そう言ってもらえたので、少し気持ちが軽くなりました。

そして色々と話していると、『そういえば、彼氏おるん?』

結婚の予定もなければ、彼氏もいないことを伝えると

『まずは、そっからだよね』

この一言が、とどめの一発になりました。

 

きっと何気ない一言だと思います。

でも当時の私にとっては、結婚もしていない、ましてや彼氏もいない私は将来子どもを望む権利はないのだろうか?という気持ちになりました。

励ましのつもりで掛けてくれた言葉かもしれません。

でも私はその一言で、妊娠や出産に関する悩みを誰にも言えなくなったのです。

昨年、ふとしたきっかけがあり、ようやく言えるようになりました。

周りの人からは『若いから大丈夫』だなんてよく励まされます。でも、抗がん剤をすぐと卵巣は今より10歳としをとると言われいます。

私の生殖機能は35歳。一般的にみても、この年齢になると一気に自然妊娠が難しくなります。

それでも私に『若いから大丈夫』なんて言葉が合うのでしょうか?

 

治療が終わったから

若いから

 

それだけで、サバイバーの誰もが結婚し妊娠・出産を経験できるとは限りません。

 

がん患者の妊娠・出産に関する研究もだいぶん進んできはじめて、色々な書籍も出版されています。

正しい知識・情報がもっともっと広まり、妊孕性温存、生殖医療がもっと発展し、若いサバイバー夢や希望をもって治療に臨めるようになればいいなぁと思います。

 

最近になって私も“家族をもつ” “自分の人生のあり方”ということはどんなことなのかを考えるようになりました。乳がんになり将来の妊娠や出産に絶望を抱いていた時は、自分が子供を産むことだけを考えていました。

でも今は、たくさんのサバイバーの生き方を目の当たりにし、自分が子供を産むということにこだわらなくてもいいんじゃないかと考えるようになりました。

 

たとえば…

 

シングル

夫婦2人、夫婦2人ペットを子どもに

事実婚

子どものいる男性と結婚する

養子を迎える

もちろん自分が出産する

 

私にはまだまだたくさんの選択肢残っているのだと気づきました。

そう悲観的にならなくても、たくさんの選択肢が。

こういう風に考えることができるようになるまで時間はかかりました。

 

でも将来少なからず、自分には子どもが産めないかもしれないという事実を受け止め、そうなった場合の自分の人生のあり方を考えなければいけません。

もし、そうなったとしても、私の人生は真っ暗ではない。

どんな人生でもキラキラしていると信じています。

 

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乳がん講演会を終えて

 

盛大のうちに乳がん講演会を終えることができました。

ポカポカ陽気の中、ご参加くださったみなさん、準備・運営をしてくださったあけぼの会メンバーさん達、ありがとうございました。

 

私も受付を少しお手伝いさせていただきました♪

残念ながら片桐先生のご講演は聞くことができず(泣)

 

小川先生は去年に引き続き2年連続でご講演をしてくださりました。

私も脇のリンパを取っているので、リンパ浮腫は怖くて怖くて…。

でも、何をするにも怖がっていては生活ができません。

日常生活の中で最低限注意すること、自分でできるケアを知ることで、リンパ浮腫に恐れることなく生活ができる。

来年はぜひリンパドレナージの実演をしてもらいたいですね!!

 

 

そして今年も国立がん研究センターからアピアランスに関するご講演がありました。

藤間先生が、肌や爪のことを中心にご講演してくださりました。

抗がん剤が始まってすぐは、肌につけるもの、頭につけるもの、なにもかもに敏感。

弱酸性? 赤ちゃんの肌にも優しい? 低刺激? 低アレルゲン? オーガニック?

なにかいいのか悪いのかもわからず、インターネットやブログなどで調べて調べて・・・。

でも、必ずしも特別な製品を使ったり、特別なケアをしなければならないわけではない。

必要以上に敏感になり、疑心暗鬼になっていたのかもしれません。

 

そして第二部では『私たちの乳がん体験』と題して

あけぼの会メンバーさん達と一緒にパネリストを。

 

こんなにたくさんの方がいらっしゃる中で

自分の体験をお話しするのは初めて。

とっても緊張しました。

でも、あけぼの会メンバーさん、会長さんが一緒にいてくださったので

安心して自分の思いを話すことができました。

 

テレビや雑誌などでは若年性乳がんサバイバーの記事や特集があり

若くして乳がんになる人がいるんだなぁと感じることはあるかと思います。

でも実際に若年で乳がんになった人(私)を見ることで

徳島でもいるんだぁって実感していただけたのではないかと思います。

若年性ならではの悩み、辛さ、想いを多くの方に聞いていただける機会になり本当によかったです。

 

(ウィッグにヘアバンドでおしゃれを☆)

 

なかには若年で乳がんになった私が多くの人の前で自身の体験を話すことに対し

「辛いんじゃないか?」 「いたたまれない」 と感じたり

私の存在を守ってくださろうとしてくださる方もいらっしゃるかと思います。

実はそう思っていただけることが、逆に辛く感じてしまいます。

それはどこかで、若年性乳がんになった私のことを『かわいそう』だと思われているような気持になるからです。

優しさではなく、哀れみのように私は感じてしまいます。

 

私はたくさんの人の前で自分の体験をお話しすることは、我慢しながらしているわけでも

辛い気持ちを押し殺してでもしているわけではありません。

自分よりも年下の方にでも、年上の方にでも、異性であっても、お話しすることにためらいはありません。

 

今年の春に、顔、名前を出して取材を受けました。

それは自分なりに色々と考え決心したからです。

自分が生きているうちに、伝えなければいけないのです。

若年で乳がんになった私が、どのような思いで生きているのか、なにに悩んでいるのか、辛い思いをしたのか。

それが、術後5年間生かされている自分に与えられた任務です。

 

なので、これからも少しずつですが、自分の体験を多くの方に聞いていただき、

これからの若年でがんになった人たちへの支援につながればいいなと思います。

 

 

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くまの間に参加してきました☆

11月26日(日)名古屋で第25回くまの間のイベントに参加しました。

 

ずっと参加したかった、くまの間☆

今年中には絶対に行くぞ!!

と心の中で決めていました。

 

そしてついに名古屋まで行ってきました( ^ω^ )

 

11月25日の夜、徳島からの夜行バスに乗り込み

真っ暗な中、名古屋へ出発しました。

 

名古屋に到着したのは26日の早朝。

お友達と合流するまで会場近くのファミレスで待機。

その後、お友達と一緒に名古屋のイチョウ並木をドライブしました。

 

 

ドキドキしながらくまの間が開催される会議室に入りました。

すでにたくさんの方が集まっていてました。

くまの間代表の方とは約2か月ぶりの再会、また会えました、

こんなに早く再会の時を迎えることができて感激でした!!

 

 

午前中は「タナトロジーについて考える会」。

タナトロジーとは死生学・死生観と訳され、まだまだ聞きなれない言葉だと思います。

講師の先生からのタナトロジーについて説明を受けたあと『死を意識する・した時はどんな時?』

をテーマに参加者みんなで話し合いました。

日本では“死”についての話題はタブー。誰もが嫌い避ける話題です。死と生は表裏一体。

死を感じた時があるから、今か輝いている。生きている今が決して当たり前でなく貴重なんだ。

目に映る全てが愛しく美しく見える。

参加者の言葉ひとつひとつが自分の死生観に訴えかけ新たな発見がありました。

 

2部はランチ会。おいしいお弁当をみんなで食べながら色んな話をしました。

なかでも驚いた話題は「ホルモン治療をするとおっぱいが小さくなる」でした。

私はホルモン治療をしていないし、ホルモン治療中のサバイバーからも聞いたことがなかったので

ただただ驚き、勉強になりました‼️

そしてここでもまさかの出会いが!!

実はこっそりしていたブログでつながっていたサバイバーさんも、くまの間に参加されていたのです!!

その方とは会ったことはなく、ブログだけが唯一のつながりでした。

なのに、まさか名古屋で会えるなんて!!

縁が縁を呼んでいる。本当にびっくり、そして嬉しかったです。

 

3部のおしゃべり会では、おやつを食べながらたくさんお話しをしました。

初めて、そして徳島から来た私でしたが、みんな暖かく迎えてくれ

何回も会ったかのようにお話をしてくださりました。

ずっとずっと参加したかった、くまの間本当に貴重な時間を過ごさせていただきました。

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山内先生との出会い

11月11日
徳島県吉野川市鴨島町にある日本キリスト教団 鴨島兄弟教会

創立71周年の創立記念講演会で聖路加国際病院副院長で、

ブレストセンター長でもある山内英子先生にお会いしてきました。
(私はクリスチャンじゃありませんが…)

 

自宅に帰ると母が新聞の折り込みチラシを置いててくれ私に見せてくれました。

 

山内先生が徳島、それも自宅から約15分ほどの教会でご講演をされる!!

しかも仕事はお休み!!

これは運命だ!!

 

と、小躍り♪

実は私は山内先生に初めてお会いするわけではありません。

 

3年前から毎年参加しているブレストセンター主催の聖路加サマースクールで先生にお会いしていました。

ちなみに今年のテーマは妊娠期乳がん。

今年も先生の開会宣言を聞くなり大号泣。サマースクール開始5分でいつも泣いてます。

先生のお言葉ひとつひとつが心に語りかけ、考えさせられ、支えられ…。
いつもサマースクールでは先生のことを見ているだけでしたのでこの機会はきっと運命なんだわと思い

教会に向かいました。

 

教会に着く前から感激で泣きそうになってました。

 

教会の皆さんが暖かく出迎えて下さりました。

かわいいきれいな教会。
オルガンの伴奏に合わせた讃美歌。
素敵な空間で山内先生のお話を聞きました。

 

「あなたらしく生きる」

 

ご講演の中では若年性乳がんサバイバーのこと、AYAサミットのことなどもお話されました。

自分らしさを見出だすためには
①よりそう
②育てる
③感謝する

 

 

先生のご講演を聞きながら最前列で号泣している私。

 

先生はピンクリングロゼットのブローチを付けていた私の元へ来てくださり、お話をたくさんしてくださりました。本当に本当に感激。

そして「もぅ自分らしく生きているじゃない。」
と言ってくださりました。

 

自分では未だに「わたしらしく」が何なのかわからなくなり泣いたり苦しんだりしていました。
がんになった自分が、どのようにして自分らしさを見いだして生きていくのか。
がんになった自分を否定している私だったので、答えが出ずにいました。
でも、悩んだりする中で、自分らしさを見つけていたのかもしれません。

 

 

(念願の先生との写真❤ありがとうございました!!)


来年も元気にサマーセミナーに参加します‼️と先生に約束しました。
これからも乳がんの勉強、患者会活動、自分らしく頑張っていこうと気持ちを新たに。

ご講演のあとは参加されてた方たちに混ざってお茶会にもちゃっかり参加しました。
おいしいお菓子を頂きながら、楽しく暖かい時間を過ごさせていただきました。
初めての参加の私にでも暖かく迎えてくださり本当に嬉しかったです。

山内英子先生、鴨島兄弟教会のみなさま、素敵な時間をありがとうございました。

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わたし と しごと

今、がん患者の就労が問題となっています。

 

病気のことを職場に伝えると解雇された。

治療をしながら仕事の両立が困難になり辞めざるをえない。

治療中、休暇の制度がない。

配置換えを余儀なくされた。

 

色々な問題があります。

恵まれた職場であれば、病気の治療を行いながらも、今まで通り仕事をされている方もいます。

 

人に知られたくない。

職場の仲間に迷惑をかけたくない。

治療をしながら仕事をする自信がない。

 

病気がわかって、自ら仕事を辞める方もいるようです。

 

 

 

私は看護師2年目に乳がんになりました。

看護師は一般的に恵まれた職として認知されています。

社会的な制度も、お給料も、きちんと保証された職

 

ですので、私はがんになったからといって、仕事で悩んだり苦しむことはないと思っていました。

でも現実は違いました。

 

 

 

2012年9月、乳がんの告知を受け、翌月の手術に向け術前検査を行いました。

これから長いお休みをもらうので、職場のスタッフに迷惑をかけてはいけないと思い

夜勤もし、休むことなく勤務し、10月から病気休暇を申請しました。

病気休暇は3か月の期限がありましたが、病理検査の結果次第では

その期限内に職場復帰できるだろうと考えていました。

しかし、病理検査の結果“浸潤性乳管がん”だったので、抗がん剤治療を行うことになりました。

EC療法を4クール、WeeklyPTXを4クール、ハーセプチン18クール。

スケジュール通り治療が進んでも1年半は治療に時間を要します。

となると、病気休暇の3か月を越した場合、休職の申請をし、お休みをいただくことになります。

 

 

 

私の場合は、約3か月に1回、主治医に休職を要するという診断書を書いていただき申請していました。

もし、治療を行いながらでも仕事ができそうなら、早めに職場復帰しようと考えていたからです。

 

WeeklyPTXが2013年4月で無事に終わり、少し体を休めて8月から職場復帰しました。

もちろんハーセプチンは半分以上残っていたので、投与しながらの仕事です。

3週間に1回の投薬日と翌日はお休みをもらい平日5日間、夜勤免除で仕事をしました。

 

 

 

職場復帰しても夜勤免除の申請は治療中必要だったので、今までのように3か月毎に提出していました。

 

いつものように部長室に医師の診断書を提出しに行った時のことです。

私は管理職ではないので制度のことなんてあまりしらなかったので色々と尋ねてみました。

 

 

 

夜勤免除って期限はあるんですか?

 

『期限?』

 

病休とかみたいに何か月間までとかの期限です。

 

『ないわよ。そもそも夜勤免除っていうのは、主治医が客観的にみて、どれくらいの期間、

 夜勤ができないかを判断して書くわけで、あなたがしたくないからといって書いてもらえるわけじゃないの。』

 

あ・・・、はい・・・。

 

『だから私達が、いつまでとか、期限をつけることはできないの。』

『でも、あなたは、雇われてるわけだから、そのことは考えておかないといけない。』

『あなたが夜勤をしない間、あなたの代わりにしてくれてるってことなんだから、

 あなたが夜勤をしないってことは、他の人がしんどいだけなのよ。』

 

 

 

 

すごく悲しくなりました。辛くなりました。

仕事なんて辞めてしまっていればよかった。

そんな気持ちでいっぱいになり、部長室を出たとたん、涙がでました。

 

少しでもケアをしてくれた病棟スタッフに恩返しがしたい。

同じ病気で困っている患者さんの役に立ちたい。

 

そう思い、治療が終わってなかったけど、仕事に復帰しました。

でも、それが逆にみんなを苦しめていたのか。

職場復帰したのは自己満足なのか。

というより、病気になった時点で仕事を辞めた方がよかったのか。

 

治療をして心も体も辛い思いをしながら、

こんな言葉を浴びせられてまでも

この職場で働く意味があるのかな。

そこまでして、ここで働かなくてもよいのでは。

 

色んな事を考えました。

でも、今更、仕事を辞めて、治療中の私を雇ってくれる職場なんて無いだろうと思い唇をかみしめて仕事をしました。

 

 

 

 

仕事で辛い思いをした方は、私以外にもたくさんいると思います。

解雇されなかっただけ恵まれていると思います。

 

それでも、こんな言葉を浴びるとは思ってもいませんでした。

それも医療の場で。

 

働くことの大変さ。

世の中は甘くないと思いました。

 

 

 

 

それでも、その時の辛かった気持ちをバネにして、今も同じ職場で働いています。

職場復帰した初日、同じ病気の患者さんが私にかけてくれた言葉を胸に。

 

『今日から復帰してくれて、ありがとう。』

 

 

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くまの間×Sister

9月30日に参加した“RFLJとくしま”では素敵な出会いがたくさんありました。

なかでも会いたくて、会いたくて、会いたくて、会いたかった存在。

 

名古屋で“若年がんサバイバー&ケアギバー集いの場 くまの間”の代表なつさん!!

 

くまの間を知ったのは、乳がん体験者コーディネーターを受講した時でした。

同じように若い年齢で乳がんになった方が、自分で会を立ち上げて運営していることを知りました。

私もコーディネーターの資格を所得したら、同じように活動をしたいなぁと思うようになりました。

そしてお会いしたことはありませんでしたが、ひっそりと私の憧れの存在になっていました。

 

 

コーディネーターを所得後、私も同じ世代のサバイバーが集まれる場としてSisterを立ち上げ

マイペースですが活動をしています。

会の立ち上げにあたり、本当に自分でできるのだろうか?

どんな風にすればいいのか?

集まってくれるサバイバーなんているんだろうか?

色んな不安が襲ってきて、会の立ち上げはしたけど活動していない状況が続きました。

 

そこで色々と相談にのっていただいたり、アドバイスをもらったりしました。

一人じゃないんだ。

同じように頑張ってる仲間がいるんだ。

遠くにいても、会ったことがなくても、自分を支えてくれる存在。

それが、なつさんでした。

 

そんな憧れの存在とやっと!!やっと会えました!!!!

 

 

感動のファーストコンタクト(´;ω;`)

コルネの泉でエンプティテーブルが始まる直前。

先に私に気づいてくれて声をかけてくださりました。

 

スラっと背が高く、優しい笑顔と声。

もぅ私はメロメロでした。

 

そしてエンプティテーブルに参加するために席に座りいろいろとお話させていただきました。

たくさんお話したいことがあって私のマシンガントーク(;'∀')

それにも笑顔で付き合ってくれました。

  (お写真掲載OKありがとうございました)

 

 

初めてお会いしたのに、なぜか初めて会った気がしませんでした。

なんだか不思議。

 

Sisterおしゃべり会に参加してくれてた3人さんも一緒にいたので紹介しました♪

「いつも来てくれる人が、来てくれるのが1番」

そう言葉をかけてくださって、なんかホッとしました。

 

Sister(自分)のペースで続けていいんだって。

会を大きくしようとか、参加者を増やそうとか考えずに

本当にSisterを必要としてくれて集まってくれる人のために運営するんでいいんだって。

 

 

 

そしてサバイバーとしての自分の気持ち。

 

今でもがんであることを認めたくない、いやだ。

強くなんかないし、前向きでもない。なのに周りの人に「強い」「前向き」って言われるたびに傷ついている。

この言葉を誉め言葉として思えなくてモヤモヤする。

そんな言葉をかけてくれるからこそ、弱い自分を隠して強い自分で嘘をつく。

 

こんなドロドロした気持ちを抱えてるのは、私だけじゃないんだ。

 

 

 

同じ病気、同世代、同性・・・

だけでは、同じサバイバー辛さや苦しみを100%わかることはできません。

むしろ100%なんてありません。

でも、こうやってお互いの思いを話し、聞き、受け止めることで、お互いの距離を縮めることができます。

 

それが大切なんだと改めて感じました。

 

 

 

 

今回の素敵な出会いを機に、もっともっと自分も頑張るぞ!!と決意を新たに。

手作りのくまの間グッズもたくさんいただいて感激(´;ω;`)

11月はフル装備してくまの間に参加してきます!!!!!

 

なつさん、ありがとうございました。

 

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RFLJとくしま×Sister

東新町商店街でリレー・フォー・ライフ・ジャパンとくしまに参加してきました。

 

私は2回目の参加でした。

お天気にも恵まれて絶好のリレー日和です。私は雨女。

開会式の後、リレーウォークをみんなでしました。

私はあけぼの会のみんなと一緒に( ^ω^ )♫

みんなの写真を撮ってたら会長さんに

「何をしてるの!! 早くこっちにきなさい!!」と(笑)

恥ずかしかったけど先頭を歩きました。

リレーウォークのあとは上野創さんによる基調講演「不条理をどう引き受けて歩こうか?」

心にスーッと入ってくるような言葉と声。

一つ一つの語りが自分自身に語り掛けてくれて、問われているような気持になりました。

自分にとって“大切にしている言葉”

講演会場ではすぐに頭に浮かびませんでした。

でもこれまでに出会って、支えてくれた人からいろんな言葉をもらって生きてきたから

自分が気づいていないだけで大切な言葉が自分にもあるんだろうなぁと思いました。

 

そして基調講演の後はSisterおしゃべり会。

昨年11月からはじめて今回で6回目。

不定期開催にも関わらず、いつも誰かが参加してくれることは、すごくうれしいです( ^ω^ )

 

 

 

今回は2名の方が集まってくれました。

夏以来の集合だったのでどんな話題が出るかと思いきや、9割恋愛ネタという・・・(笑)

いや、いつもだな!!

 

そして、今回はあけぼの会のメンバーさんも参加してくれました。

普段は一緒の日程で開催していないので、お互いの会のことを知りません。

でも同じブースでお話をさせていただいて、年齢は違っても共感しあえる話ができたことは

とっても貴重でした。

恋愛話だけで終わるおしゃべり会も、先輩サバイバー達のお話のおかけで、新たな気づきや感じたことがたくさんあったと思います。

これからも、あけぼの会のねぇさん達と交流ができたらいいなあ♫

 

 

 

そして暗くなり始めた頃、ルミナリエに灯がともり素敵な夜になりました。

 

 

コルネの泉ではエンプティテーブルが始まりました。

 

(以下RFLJ川越のHPより引用)

 

この小さなテーブルは、尊厳と名誉の象徴。
これは ここに来ることができなかった愛する人の席です。
がんを宣告された人たち、
ルミナリエのともしびを捧げた大切な人たちの席です。」
 
誰も座っていない椅子があります
がんと闘った多くの人が去っていきました

でも 大切な人を失ったことを嘆くのではなく 

がんと闘った多くの人の生涯を讃えましょう


 

今日 愛する人や家族と共に
ここに来ることができなかった人たちのことを
共に想い 讃え 彼らとの思い出を心に刻みましょう
 
小さなテーブル

それは、時にたった1人でがんと闘う

患者のはかなさの象徴

 
白いテーブルクロス

それは、命をかけた闘いを支える

医師・看護師・研究者たちの象徴

 
花瓶の中の一輪のバラの花
それは 家族や友人の揺るぎない愛情と

がんと闘う患者たちの強い意思の象徴

 

花瓶にあるピンクのリボン

それは 乳がんに限らず がんの治療法開発を支えている

多くの人々の襟に飾られてきたリボンの象徴

日本では本年33万人をも超える人々が

がんの犠牲になると考えられています。

 
皿の上の一切れのレモン
それは この重大な病との苦しい闘いの象徴

毎年53万を超える新たな患者が闘っています。

皿の上にちりばめられた塩
それは 数え切れない患者の苦しみの涙と
愛する人を失った家族や友人が流した涙の象徴
 
ふせられたグラス
それは 今日この日を共に祝うことができなかった
大切な人たちへの追悼
 
でも このキャンドルは
私たちの心にともる希望の光
サバイバーがくれる希望の光
 
リレーで集められた基金と
医療に携る人々のたゆまぬ努力によってもたらされる
がん根絶への希望の光
 
ひとつの世界 がん撲滅へのひとつの希望

あなたの一歩が世界を変えるのです

 

暖かい言葉と、ヴァイオリンの音色にうっとり。

これまでたくさん大切な患者さんとお別れしました。

また大切な人をがんで亡くしました。

心の中が洗われるような気持で、手のひらに灯った灯りを眺めていました。

 

そしてそして集まってくれたメンバーで

チャリティBBQを満喫!!!!

 

本格的なBBQの道具で、とってもおいしいお肉をほおばりました😋

 

【野菜とバランス良く、控えめに】

 

注意書きがあったので野菜も食べました。

 

でもやっぱり肉ばっかり食べてしまいました!!!!!

 

 

こんなに厚い肉、はじめて!!!!!

 

そして、夜はやっぱり少し寒くなったので

お隣で売ってた豚汁も〆に食べました。

みんなでぽかぽかになりました(*''ω''*)

 

今回初めて夜までRFLJに参加しました。

実行委員の方からリレーに対する思いをじっくり聞かせていただく機会があったので

すごく心に残るリレーになりました。

 

そして、Sisterに集まってくれる仲間とともに参加できたということも私にとってはとっても嬉しかった出来事。一生忘れない!!!

 

来年もみんなで参加できるといいな♪

 

 

そして私は明日(10月3日)、静かにセカンドバースディ迎えることができます。

ありがとう。

 

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わたし vol.7

パクリタキセル併用で始まったハーセプチン。

 

 

無事に予定通りのスケジュールでパクリタキセルが終わったので

3週間ごとにハーセプチンを投与するだけです。

とはいってもハーセプチンは1年間投与。

合計18回にもなるので思ったより長く感じました。

 

 

ハーセプチンは副作用がなくとても体が楽でした。

でもECやパクリタキセルに体が蝕まれていたので

時間がたってからじわじわと副作用が出現して、すっきりとはいきません。

 

 

やはりいつまでも残っているのが爪への副作用。

パクリタキセルをしてた時から爪が黒くなってグラグラと不安定になっていました。

 

そしてハーセプチンをする頃に何本か抜けてしまったり

爪囲炎になって指が腫れてしまったり・・・。

先生に麻酔下で爪をカットしてもらって何とか乗り切りました。

 

ちなみに今年術後5年を迎えますが、足の爪は今でも生えては抜けるを繰り返しています。茶色い筋がはいったままの爪もあります。

 

 

 

そんな中でも唯一嬉しかったのは髪の毛やまつげ、眉毛が生えだしてきたこと。

パクリタキセルを行っていた時から産毛のような毛が生えだしていました。

ハーセプチンになってから本格的に生えだしました!!

でも前髪やトップは薄く、今でも前髪のあるヘアースタイルはできません。

美容師さんにも見てもらいましたが、どうやら私には前髪が無くなっているようです。

 

髪の毛が抜ける前は、治療が終われば前のような髪の毛に戻るんだと思っていました。

個人差はあると思いますが、最近では必ずしも“前のように”とはいかないようです。

私も髪の毛の薄さが気になりますが、生えてきただけ喜ぼう!!と思って過ごしています。

 

 

 

 

そして私は2013年8月からハーセプチンだけになったので職場復帰もしました。

もちろん投薬しながらの勤務です。

 

投薬日と翌日は年休にしてもらい、平日5日間勤務。

これが意外と大変でした・・・。

夜勤は投薬が全て終わるまで免除してもらっていました。

(仕事のことはまた詳しく書きます。)

 

でもやはり無理していたのか、復帰1か月後の夜中に高熱が。

そして入院することになりました。

 

 

ハーセプチンの副作用なのか・・・

それともCVポートからの感染なのか・・・

 

抗生物質を投与して経過をみていました。

熱も下がってきたので、どうやら上気道感染。

 

抗生物質を投与して症状が落ち着いたのでCVポートを抜かなくてもよきなりました。

CVポートも体にとっては異物。

ときおり感染を起こして熱が出る人がいるそうです。そうなれば抜かなければいけない。

 

私にとってはハーセプチンをするための唯一のブラッドアクセス。そのままでよくなったので安心しました。

 

 

結局体調が崩れたのもこれだけで、その後は何事もなく計18回投与を終えました。

副作用もないし、3週間に1回の投与なので投薬に行くのが面倒に思えてくるほど・・・。

1日もスキップすることなく2014年1月6日、長く苦しかった治療終わりました。

 

 

あの時のやり切った感!!!!!

 

 

でも、治療が無くなることに不安もありました。

 

 

この秋で術後5年を迎えるにあたり、苦しかったけど術後治療を

ちきんと受けてよかったと思っています。

 

 

副作用は体だけでなく心にも大きな副作用がでました。

人間関係も変わってしまい、がんじゃない人を恨めしく思ったり

自分のことも病気のことも嫌いになって、自分以外の人も嫌いになって

 

 

今ようやく、縛られていた物に開放され、人間関係もほんの少し元に戻ったり

頑張ってきた自分を認めてあげることができるようになりました。

 

 

それも治療を完遂し、元気でいることができているからです。

逃げ出したかったくらい苦しかった。

でも、今、受けることができる治療があるなら、今しないと。

そう思い、色んなものを犠牲にはしましたが乗り切りました。

 

 

 

今でも再発や転移の不安からは逃れることができません。

でも今は恐怖に怯える時間よりも、毎日が充実して愛おしく思う時間の方が長いです。

 

 

 

 

これにて『わたし』シリーズ終わり。

これからポチポチ仕事、妊孕性、患者会との出会いについて書こうかな。

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わたし vol.6

さて、地獄のようなECを4クール無事に済ませて、年明け2013年1月から

ウィークリーパクリタキセルとハーセプチンが始まりました。

 

ECよりは断然副作用が無いだろうと思っていたので、

EC地獄から解放される喜びでいっぱいでした。

 

とりあえず、初回投与は入院で様子を見ながら・・・。

アレルギー症状がでないように心電図をつけて点滴投与しました。

お昼ご飯を食べるほどの余裕♫

相変わらず点滴は腕を曲げれない場所でしたが回数を重ねているので

特に気にすることなく、左手で電話も食事もできました。

 

パクリタキセルもハーセプチンもアレルギーがでることなく終わり

翌日には退院し、外来通院で投与することになりました。

 

私はパクリタキセルを投与すると、すごく眠たくなるので

父やおばちゃんに通院を手伝ってもらいました。

 

 

パクリタキセル全12回、点滴して私に出た主な副作用は

 

【下痢】

夜中に腹痛に襲われて10分に1回トイレに駆け込んでいました。

ちょうど冬場で寒かったので、そのうち慣れてきた私は

トイレに掛物、スマホを持ち込みお尻を露わにしたまま寝て

お腹が痛くなったら用を足す。

というスキルを身に着けました。

油断して大好きな辛い食べ物を食べた後はすぐに下痢でした。

刺激物はだめだと知っていてるのに食べてしまうので、自業自得ですね・・・。

 

【引き続き脱毛】

ECで頭の毛は全て抜けてしまい、

残っていたマツゲや眉毛も

無くなってしまいました。

 

真冬で頭が寒くて帽子が手放せませんでした。

マツゲが抜け始めた頃は目に入って・・・。

体にいらない毛などないのだと感じました。

 

【末梢神経障害】

地味に辛かった副作用です。指先がしびれたり、手に力が入らない。

はじめの頃は点滴を終えたその日だけだったのに、

いつの間にかずっとしびれが取れず気持ち悪かったです。

お茶碗やコップを落としてしまい壊したり・・・。

手が思うように動かなくて仕事ができるのか不安になりました。

【浮腫】

 

体重が10kg増えました。

最後にはマブタも腫れて

なんとも言えない顔に・・・。

 

先生からも浮腫みを心配されましたが

利尿剤を飲まず様子を見ました。

 

パクリタキセルが終わってしばらくすると、風船がしぼむように体重も減り

顔の浮腫みも消えました。

 

【肝機能上昇・貧血】

回数を重ねるごとに肝機能が高くなっていきました。

特に症状はありませんでしたが、とりあえずお薬を内服し元通りになりました。

 

産まれて初めての貧血。

少し歩くだけで息切れ、階段が登れない、いつものスピードで歩けない。

なんか変だぞ。

という感じはありましたが自分ではわかりませんでした。

点滴投与前の採血で貧血をしてきされ始めて

これが貧血なんだ!!!!と知りました。

お薬を飲むことなく改善しました。

いまではトコトコ歩けます。

 

【粘膜障害】

お恥ずかしい話、お尻のただれ・・・。

頻回の下痢に耐え切れなくなり、血が滲むほど(´;ω;`)

軟膏を処方してもらい自分で注入することに・・・。

 

あと、陰部もティッシュで拭くだけで切れました・・・。

粘膜障害もあるのでしょうが、毛も無くなってるので

ダイレクトにティッシュの摩擦が・・・。

すごく痛かった(´;ω;`)

 

おすすめは赤ちゃんのお尻拭きです。

ティッシュでは摩擦が強すぎるので、お尻拭きでそっと処理してください。

 

 

【爪】

私はECの時からフローズングローブをしていたので

手の爪は黒くなったり、剥がれ落ちるようなことはありませんでした。

でも爪が薄くなっている実感はありました。

まるで赤ちゃんの爪。

 

普段仕事をしているときは爪のおしゃれできなかったので

妹に教えてもらったりしてネイルシールを使っておしゃれしました。

【関節痛】

ECの時の関節痛は一時的なものでしたが、パクリタキセルの関節痛は

ずーーーーっとでした。

指もそうですが、足の関節が痛いのはさすがに困りました。

 

朝起きてすぐに歩けない。

階段も這いながら登ったりしました。

浮腫みのせいで体重が増えて膝が痛いのか、それとも副作用なのか。

最後にはわからなくなるほど。

主なものはこんなところです。

書き始めると次々小さな副作用までたくさんあるので(;''∀'')

そしてパクリタキセルが残り

半分という頃に、私の血管は

役に立たなくなりました。

 

点滴針が入らなくなってきたのです。

 

 

 

そして最後には禁断の場所へ・・・。

 

 

 

 

キャーーーー( ;´Д`)

そして私はこれから6回残っているパクリタキセルと1年間投与する

ハーセプチンを安全に投与するためにCVポートを入れることにしました。

 

簡単な手術なので入院はしなくてもよかったのですが

私は自分で病院に行って自分で帰ろうと思っていたので

傷が痛かったら運転できないので一泊入院することにしました。

 

約1時間ほどの手術でCVポートが自分の中に入りました。

ジクジク痛かったですが、お乳の手術の方がよっぽど痛かったので平気でした。

愉快な手術前の私・・・。    CVポートが入ってすぐの傷。

 

 

 

なんだか胸も無くなって、髪の毛も無くなっている自分にCVポートが

入った瞬間、自分が人間でなくなったような気持になりました。

 

でもCVポートのおかげで、その後の点滴はすごく楽になりました。

針を刺すときに多少の痛みはありますが、点滴中に針を気にすることなく

リラックスして受けることができました。

合計12回。4か月かかって

パクリタキセルを点滴しました。

 

 

ECとは比べ物にならないくらい

楽でした。

それはムカムカが無かったからかな?

 

 

でもやはり副作用は私の体にも出ました。でも、投与と延期したり、中止するほどのものはなかったので、予定通りのスケジュールで終えることができたことは、本当によかったです。

 

これも若さ? (笑)

 

 

これで残すはハーセプチン!!!!  10回ほど残ってるけど・・・。

 

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リレーフォーライフ×Sister

第6回目のおしゃべり会のお知らせです。

 

3か月ぶりのおしゃべり会は、なんと

『リレー・フォー・ライフ・ジャパンとくしま』さんのイベント内で

開催することになりました!!

おねぇさんの会である、あけぼの徳島の相談会も同時開催しています。

 

 

第6回 おしゃべり会

9月30日(土) 午後4時から

今回は事前参加申し込みはありません。

直接会場までお越しください。

「参加するよー」ってご連絡くださっても結構です。

詳しくは“第6回おしゃべり会のご案内”や

“リレー・フォー・ライフ・ジャパンとくしま”

のホームページをご覧くださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リレー・フォー・ライフ・ジャパンとくしまホームページより

 

サバイバー(がん患者、がん経験者)や家族を含む、

さまざまな立場の支援者(ケアギバー)の方々と一緒に

タスキをつなぎながら夜通し交代で歩きがん征圧への願いを新たに、

絆を深め合う催しです。

がんと向き合う方々を応援する寄付イベントでもあり、

寄付金は日本対がん協会を通じ患者支援を中心にした対がん活動に使われます。

 

今年で6回目の開催になるそうです。

おしゃべり会も6回目!!

なんか偶然とは思えない!!

 

 

私も2015年にリレー・フォーライフに参加したことがあります。

その日は術後3年目の日でした。

 

たくさんのサバイバーやケアギバーが東新町商店街に集まり

夜通しイベントを行っていました。

私は残念ながらその時はあけぼの会のサロンにだけ参加でした。

今年は16時からのおしゃべり会だけでなく、

開会から日が暮れるまで参加しようと思っています☆

 

この日はたくさんのイベントが企画されていて、

体験者の講演や、県内の患者会の相談会などなど

たくさん新しい出会いや発見の場があります。

 

 

私も闘病中は夜が怖かったです

眠ったしまったら、このまま目が覚めないのではないのか。

夜の闇とがんに自分が飲み込まれそうで。

 

今でも夜は怖いです。

 

そんな夜をサバイバーやケアギバーと共に過ごしませんか??

 

いつもは不安な夜も、この日をきっかけに、

そんなに夜って怖いものじゃないって思えるかもしれません。

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わたし vol.5

さて、血の滲むような術後生活を送りながら、

続いて待ち受けている抗がん剤への対策をちゃくちゃくと練っていました。

 

私は普段からノーメイク。1度も髪の毛も染めたことないし、おしゃれだって興味ない。

 

なので抗がん剤の副作用で髪の毛が抜ける事なんて

特に悲しくもなければ怖くもありませんでした。

 

とりあえず脱毛が始まったら抜けた毛の処理が大変なので

思いきって髪の毛を短く切りにいきました。

お店の人には何回も「ほんまに切ってええん?」と聞かれました。

 

産まれてはじめてくらい短く切ったので何となく憂鬱な気分も吹き飛びました。

 

そして私は高額なウィッグを購入せず、ファッションウィッグを購入しました。

1番安いもので1500円(ワンシーズン型遅れのため)、高いもので8000円。

なのでいろいろな髪型のウィッグを6つほど購入しました。

気分や服装に合わせてヘアーチェンジ!!

そして髪の毛も短くカットしたので、さっさくウィッグを被ってお出掛けもしました。

 

そして2012年10月22日

初回EC療法を行うため入院しました。

 

採血も済ませ結果OK。

先生に点滴を刺してもらい、看護師さんに車イスで押されながら入院病棟まで行きました。

 

 

私は抗がん剤を甘く見ていました…。

 

 

抗がん剤をすることに対して不安はありませんでした。

むしろわたしの命を助けてくれる魔法の薬と思ってました。

あと、私が担当した患者さんが、大きな副作用もなく翌日退院していく姿を見ていました。しかもその方は、そのまま友達とランチをして夕方自宅に着くとか…。

なので、そんなに怖がるような副作用なんて自分にはでないと確信していたのです。

余裕をぶっこいで私はお昼ごはんを食べました。

しかも妹にKンタッキーを買ってきてもらって…。

もちろん完食です‼



そしてしばらくして抗がん剤を始めることに。

まずはムカムカ止めの点滴。

そして真っ赤な抗がん剤を一気に流す。

そのあと、透明な抗がん剤を1時間ほどかけて流しました。


透明な抗がん剤をはじめてしばらくして口の中がなんとも言えない気持ち悪さに。

苦いような…

渇くような…


そして少しだけ目が回る感覚に…。


でもまだまだ大丈夫!!

なんとか全行程終わりました‼


これで気が楽になったぞと思ったのもつかの間。

 

吐きそう…。

気持ち悪い…。

 

目も開けることができません。

目を開けるとぐるぐる目が回って更に気分が悪くなる。

 

なので歩くこともできないし、テレビだって見れない。

 

結局ベッドで寝たきりとなり夕食も食べることができず点滴を24時間することに…。

ようやく口にできたのがペットボトルのお茶と水。

ですが口の中が変な味がするのでお茶も水もまずくて飲めませんでした。

 

エンドレスで点滴をしてると我慢してもトイレに行かなければなりません。

私の場合、夕方から点滴をはじめてだいたい23時から24時くらい。

部屋のトイレにふらふらしながら歩いていき、

用を足したあと気分が悪くなりトイレの中でうずくまって動けなくなりました。

そんな姿を巡視に来た看護師さんに発見され抱えられながらベッドに戻る

というエピソードを、残り3回の入院の度に繰り返しました。

 

 

約3日ほど何も口にできない日が続き、

少し食事ができるようになった5日目にめでたく退院しました。

 

このパターンは毎回同じで、だいたいの要領を掴んだ私は、

その後の3回の抗がん剤の時は、点滴が終わったらすぐにシャワーを済ませたり、

お茶ではなくポカリを持っていくことにしました。あとはヨーグルトやゼリーも。

 

そして病室独特の臭いですら気分が悪くなるのでルームスプレーを部屋に噴霧したり、

お気に入りのタオルケットやぬいぐるみを持って入院しました。

 

 

そして第1回目の投与が終わり退院してから次々と私の体に異変が…。

主なものだけ書きます。

 

【関節痛】

投与後7日目に謎の関節痛。

その日の朝は足首が急に痛くなって、捻挫をしたのかな?と思ってました。でもその日の夕方にはあばら骨の辺りが痛く、夕食の頃には首や顎までが痛くなるのです。

翌日の朝は体全体が痛くて階段から降りれないような状態に。

謎の関節痛も約3日ほどで終息しました。

 

 

 

【脱毛】

やってきました13日目の夜。

とくに髪の毛がパラパラ抜けるような感覚はありませんでした。

しかし、お風呂に入りシャワーをすると驚くほどに下の毛が抜ける抜ける…。

「これは!!」

と思い髪の毛を洗うと

ガッサーーーーーーー

と抜けるのです。

 

恐ろしいほど抜けるのです。

頭からシャワーをすると体全体に髪の毛が海苔の様にへばりつく。

そして排水溝はパンク!!

 

次々と抜ける髪の毛をどうしてよいのかわからず、

とりあえずタオルで頭を包んで水気を取り、裸のままでドライヤー。

脱衣室も大量の髪の毛で床がホラーな光景に。

髪の毛が乾いたところでケア帽子を被りパジャマを着ました。

こうするとパジャマに髪の毛が付かないのです。

 

髪の毛が抜けることは悲しくはなかったけど、

裸のまま床にしゃがみこみ自分の抜けた髪の毛を集めている自分の姿が惨めになりました。

 

そのあとはパラパラ髪の毛が抜けるのが嫌だったので、

ある程度抜けたところで父にバリカンで坊主頭にしてもらいました。

 

これでスッキリ!!

真冬に髪の毛がないのはすごく寒かったけど帽子や

おしゃれなウィッグでそれなりに楽しく過ごすことができました。

ちなみに体のあらゆる毛が全て抜けました。

髪の毛だけじゃなく、産毛、鼻毛、まつげに眉毛。

つるつるで気持ちよかったです。

そして私は坊主頭がすごく似合ってました。

  ↑ お風呂前の頭              ↑ お風呂後の頭 

【卵巣機能障害?】

抗がん剤を始めるに先だって主治医からは、

抗がん剤のせいで卵巣機能が低下して生理が止まるかもしれないこと。

そして、時に不妊になるかもしれないことを聞かされました。

 

ってことは抗がん剤をすると、すぐに生理が止まるのか??

実は私の場合、抗がん剤をして半年後まで生理がありました。

 

生理が止まっていないEC療法の時、少しだけですが体の変化はありました。

 

真冬なのにとにかく暑い‼

病室は暖房をいれず窓を開け、寝るときもタオルケットだけ。

更年期障害の前触れだったのでしょうか?

 

そして陰部がとにかく痒かった‼

人によると肛門が痒いとも聞いたことがあります。

デリケートな部分の粘膜が抗がん剤の影響で萎縮してきてたのかもしれません。

そして自浄作用が低くなってたので、驚くようなおりものもでました。

婦人科に行きましたが感染症を起こしているわけでもなんでもないと言われました。

でも膣の粘膜がカラッカラになってたので婦人科での検査が一苦労でした。

経膣プローブが入らないのです。

潤滑ゼリーを大量に付けてもらっても半分ねじ込むようにしないと

プローブが入りませんでした。

すごく痛かったー(T-T)

 

そんなこんなでEC療法も無事に予定通りのスケジュールで進み

年明けからは次の抗がん剤をすることになりました。

 

私の場合、EC療法での副作用が強く出たので毎回入院して行いました。

 

自分で運転して病院へ向かうのですが、またあんな苦しい思いをしなければならない。

そう思うと病院へ行くのが嫌で嫌でたまりませんでした。

泣きながら運転して病院まで向かいました。

 

自分が抗がん剤治療をするって決めたんだから逃げちゃダメだ‼

 

そう言い聞かせて病院へ行くのですが、待合室でも涙が止まりませんでした。

地獄のようなEC療法も4回で終わり。

我ながらよく耐えたと思います。

 

 

 

ちょうど最後のEC療法が始まる前に姪っ子1号が

元気に産まれてきてくれました。

 

はじめは同じハゲ頭だったのに

いつも間にやら姪っ子の方が

髪の毛ふさふさになっていました。

 

我ながら頭の形が美しい!!!!

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わたし vol.4

なんとなく意識が戻った時、目を開けたいのに瞼が開かない

頭だけが少し目覚めた感覚でした。


そして口の中にチューブが入り、溜まっていた唾や痰が吸引され、

自分で息が出きるのに喉に太いチューブが入っていて息ができない!!

苦しくて死んでしまうんじゃないかた思いましたが、再び夢の中へ~♪



次の記憶は、夜でした。

たぶん夜8時くらい。


焦げ臭いにおいが手術をした左胸からして、

とにかく左の腕や脇、背中が痛いし動かすことができない。

頭で小さなパニックを起こしてましたが、体も動かないし瞼も開かないので、

どうすればよいのかわかりませんでした。

少しでも動かさないといけないと思い、

左手で永遠にグーチョキパーをしてました  笑


部屋には父、母、妹がいたかな?

母は大好きな警察24時を見てました。


家族が来てくれてるのに眠くて目も開けることができないし、

おしゃべりも上手にできませでした。


主治医も手術が終わってから来てくれましたが、

あんまり覚えてません。


その夜は注射の痛み止めを1回、座薬の痛み止めを2回してもらいました。




翌朝になっても、腕が痛くて…


朝から歩くことができて

昼からご飯も始まりましたが、

痛みが続いてて

頭がまだぼーっとしてました。


母には昼からお見舞いに来てと伝えてました。

朝はまだ本調子じゃないと思ったので、初回歩行をしたり、

自分でおトイレに行けるようになってからの姿を見てもらいたい。

なんとなくですが弱っている自分を見られたくなかったからです。


お昼ごはんの時にはわざわざ病室に来てくれて、

食事の手伝いをしてくれました。


入院した時に食事メニューを選んでたので、手術後初めて食べるから

おいしいものがよかったので、きつねうどんを頼んでました。

しかし来たのは…


きつねそば


完全に見間違い( ̄0 ̄;)

人生初のきつねそばでした。




私の手術はというと、

左の胸を全部とって、脇のリンパ節をいくつか取りました。


胸はホッチキスみたいなもので傷が止められてて、ガーゼが当たってます。

胸と脇にはドレーンが入っていて小さなバックに繋がれていました。

そのバックには血がたまってました。


とにかく痛みが強くて腕も挙がらなくて、

いったいどうしたんだろぅって思いました。


ドレーンが1本ずつ抜けたり、ホッチキスが外れても

痛みと腕の上がりにくさは変わりませんでした。



常に左の脇が引っ付いていて、腕は肘を曲げて胸に付いている状態。



食べたご飯を下膳するにもお盆が持てない。


パジャマを着替えるにも袖を通すことができない。

かぶりのパジャマに至っては最悪。


髪の毛を洗うにも右手だけ、左手は頭を触れることすらできず。



頑張って何回もリハビリをしてます。

痛くて痛くて涙がちょちょぎれるけど頑張ってしていました。


なんで私だけこんなに腕が動かないんだろう。


不安になりました。

このまま腕が動かないんじゃないかって。





結局退院する時までに腕が上がることはありませんでした。


主治医が

「左手でバイバイができるようにならんとな。」

と言ってくれたのに…。


片手では運転できないので家族に迎えに来てもらって入院生活を終えました。


退院してすぐは病理結果や術後治療のことより、

左腕が動かせるようになるかが心配でした。




退院してからは毎朝伸びない腕を使って

洗濯物を干したり、時間を見つけてはリハビリをしてました。


母のアイデアで、兄が自宅の天井に滑車を取り付けてくれて

ロープを吊るし、リハビリ装置を作ってくれました。



血と涙のリハビリ(少しオーバー)を続けて、

今では左腕も生活に支障を来す程の後遺症もなく過ごすことができています。

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わたし vol.3

術前検査も無事に全て終わり

PET-CTでも遠隔転移の所見もなく

予定通りの日に手術を受けることになりました。


それまでは自分1人で先生からの説明を受けていましたが、

次は家族と一緒に最終の説明を受けることになりました。

父と母に同席してもらい術前説明を受けました。


母は何度も先生に

「なんでこの子が、がんになったんですか。」

って聞いていました。






手術は私の希望通り、乳房切除術をしてもらうことになりました。



先生から

切除術と温存術では生存率には差がありません。

でも温存術を受けた場合、

術後に治療(放射線療法、ホルモン療法、化学療法など)を受けたとしても、

ごく少ない割合で局所再発を起こす可能性がある。

そして、その場合は遠いところにがんが飛んでいる(遠隔転移)可能性がある。

と説明がありました。



私はできる限り局所再発なく過ごしたいという思いが強かったので、

ためらうことなく乳房切除を選びました。


両親も私が選んだ術式に対して反対しませんでした。




仕事も休むことなく最後まで夜勤をして

10月から病休をとらせてもらいました。


そして10月2日入院しました。

手術は翌日だったのですることもなく病室でゴロゴロ。

手術室のスタッフや病棟のスタッフが

当日のオリエンテーションをしてくれました。


自分の勤める病院で手術してもらうので不安はありませんでした。


でも、その夜はなかなか眠ることができませんでした。 




術前検査の大変さがお乳にあらわれてます。

生検を受けたあとの穴や、内出血が手術日になっても消えませんでした。





手術当日の朝が来ました。

部屋の窓から日が昇るのが見えます。

窓の外が明るくなればなるほど

手術時間に近づくので不安になってきました。




朝から点滴に繋がれ術衣に着替えたり

慌ただしくなってきました。


予定より少し早めに手術室に向かうことになりました。

父、母、妹が来てくれました。



看護師さんに連れられて手術室に歩いていきました。

家族とは入り口でお別れ。

ドキドキしながら手術室に入っていきました。





初めての手術室。

ピリピリした空気が漂っていて緊張しました。


手術台に登り上を向いて寝ます。

体が固定されて、名前と術式の確認を先生がしました。


麻酔をかけてくれる先生がマスクを口に当てて

「普通に息をしとってよ。」

10秒も経たないうちに夢の中へ。



怖かったけど手術室の先輩看護師が

手を繋いでくれてたので安心して眠りました。




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わたし vol.2

心配する母をよそに

私は自分の部屋に飛び込みました。

そして深い眠りに。



ようやく目が覚めた時、

長くて怖い夢を見てたような気持ちになりました。


「夢だったのか…」  


昼間のできごとが現実だったのか夢だったのか。

本当にわからなくなっていました。

でも、ふと自分の左胸をさわると硬いものがある…。


やっぱり夢なんかじゃなかったんだ。

なんで夢じゃないんだ。

お願いだから夢っていってよ。




またしばらく泣きました。




それから数日間のことは覚えていません。

たしか妹のお誕生会もしました。

でも覚えていません。

どう過ごしてたのでしょうか…。




とりあえず時間は刻一刻と手術日に向かってました。

そのための術前検査を何日かにわけて受けていきました。




造影MRIを受けた時のことです。


1人座って検査室に呼ばれるのを待ってました。

ただただぼーーーっと。

ふと顔をあげると遠くに一緒に働いている職場の上司と

先輩が歩いてくるのが見えました。

ハッと我に返り立ち上がりました。



「隠れなきゃ!!」



心の中で叫んで、とにかく身を隠す場所を探していました。

その姿をみて普通じゃないと分かってくれたのか、

放射線技師さんと看護師さんが急いで私の姿を隠してくれました。




なぜ隠れたのでしょうか。


コソコソする必要なんて全くないのに。

悪いことなんて何にもしてないのに。

言い訳ならいくらでもできるのに。




とにかく

「知られたくない」

その一心で無意識にとった行動だったのかもしれません。




その後は姿を見られることもなく

造影CT、肺活量検査

心電図検査を受けました。


そしてPET-CTだけは県外まで受けに行きました。




先生からもらった紹介状を手に、

母と兄に付いてきてもらって

県外の病院へ行きました。


紹介状を渡しダサい検査衣に着替え

問診や採血をしたのち、

注射をしました。


そして約1時間休憩。


その後撮影に挑みました。

撮影は約30分。

でも終わってから15分の追加撮影がありました。


きっと悪いものがあったんだ…


すごく怖くなりました。

でも撮影中は動くことも泣くこともできませんでした。



撮影が終わってから1時間休憩。

かなり疲れたので眠っていました。


検査後、体調も変わりなかったので

そのまま終わりかと思えば、なんとご飯が‼


しかも豪華なステーキ御膳!!


この頃には食欲が戻っていたので、不安な気持ちもどこへやら。

おいしく頂きました(笑)





この頃、検査ばかり受けていました。


どれだけ検査を受けても

「がんじゃない」

という結果をもらうことができず、

検査を受ける度にがんだという事実に

心が崩れそうでした。


もしかすると、やっぱりがんじゃなかったよ。

っていう結果がでるんじゃないか。

だから、手術もしなくていいんだよ。


そういってもらえるんじゃないかと

淡い期待を持っていました。




でもどんなに検査を受けても受けても、いい結果がでません。



こんなに苦しくて痛い検査を受けているのになんで?



我慢して頑張っても何にもいいことなんてない。



世の中の全てが悔しくて、恨めしくて、嫌いで。

私の味方なんて誰もいないんだって思いました。



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わたし vol.1

テレビやラジオで私の体験をお話しする機会が多くありました。

でもメディアを通して私自身の事を詳しくお話しするには、

限られた時間の中では足りません。

なので何回かにわけて、『わたし』について紹介させていただきますね。


わたしは2012年25才の時に乳がん患者になりました。




2012年9月。

仕事から帰って来て夕食を済まし、お風呂に入るときでした。

下着を外した後、左の胸をさわると脇の近くに硬く触れるものを感じました。

何回さわっても触れます。


血の気がひきました。

自分の体の中に何か恐ろしいものがある。

とにかく恐くてたまりませんでした。



翌日、とにかく病院で診てもらわねばと思ったので、

乳腺を診る先生の担当日ではありませんでしたが受診しました。



外来の看護師さんとその日の担当の先生に

「胸に何かがあるんです。」そう伝えると

先生達は胸の外側にデキモノでもあるのだと思っていたみたいでした。



でも診察室でよくよく話をすると、

先生達の表情がかわるのがわかりました。

まさか、若い私の胸の中に何かある。

その先生は自分が乳腺専門ではないことを私に告げ、

翌日の乳腺を診る先生の予約を取ってくれました。



そして翌日、再び受診しました。


たくさん患者さんが座っている中でポツリと1人。

座っているだけで何も考えていませんでした。

ボーッとただただ診察室に呼ばれる時を待っていました。




そして診察室に呼ばれ入りました。

自分で胸のしこりを見つけたことを伝えました。



さっそく乳腺エコーが始まりました。

上着と下着を脱いで診察台の上で横になる。

真っ暗な部屋の中で、私の胸の上をプローブが動く。

すごく長い時間のように感じました。



エコーが終わり服を直してイスに座ると

「良性である可能性は低いです。」

と先生は伝えてくださりました。



私がその言葉を聞いて何と答えたのか覚えていません。




「手術になるならどこの病院でしますか?

ここでもできますし、希望する病院があるなら紹介しますよ。」

といってくださったので、

「ここでお願いします‼」

と言ったことだけ覚えています。




先生が検査の準備をする間、待合室で待機していました。

外来の看護師さんがそっと近付いて肩をポンと触れて

「自分で見つけたん?」と一言。

看護師さんの顔を見たとたんに涙が溢れてきました。

「先生に任せたらいけるけん。心配せられん。」


これからどんなことが私を待ち受けているのか。

全く想像もつかなくて恐くて恐くて。


看護師さんが掛けてくれた言葉で決心がついたように思います。




再び診察室に呼ばれて細胞診を受けました。

胸の上から細い針を刺してしこりの細胞をとる検査でした。

不安が強かったので特に痛みは感じませんでした。

その後、マンモグラフィと採血。

そして手術の日を決めて、

それまでに必要な検査の予約をしました。




ちょうど私は職場の夏休みだったので、

25才の夏休みは全て検査で終わってしまいました…。

(トホホ…。)


                   (初診約2週間後のわたし。)

                     (ギャルではありません。)



初診の後、自分で運転をして自宅に帰りました。

全く運転中のことは覚えておらず、

病院を出てから次の記憶は家の玄関でした。



家に帰ったのは昼過ぎ。

夕方に近かったかもしれません。



「ただいまーー。」



普段なら部屋の中から「おかえり」と聞こえるのですが、

バタバタと足跡が聞こえて母が玄関まで走って来ました。


「あんた、なんて言われたんで‼」


と一言。

私は靴を脱ぎ部屋に入りながら

先生に言われた言葉をそのまま伝えました。

その言葉を口にしたとたん涙が溢れました。

母も泣いていました。




私は前日、母に胸にしこりがあること。

受診することを伝えていました。



私の帰りが遅い。連絡もない。

きっとずっとずっと不安な気持ちで

私の帰りを待っていてくれたんだと思います。

もしかすると私よりも不安だったのは母だったのかもしれません。



泣いている私に

「あんた、病院で同じ人を見てるんやろ?それやったらわかるやろ」



そうです。

私は看護師として働いていて乳がんの患者さんをケアしていました。

みんな手術、治療をして元気に退院していってます。

がんイコール死でないことは、誰よりも私がよく知っています。



母の言葉で、これから待っている検査や治療を乗り越えるぞ‼

って思うことができました。

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ラジオ強化月間終了!!

今日から7月ですね。

暑い(;´∀`)

今年の夏も暑そうだー!!





先月はラジオ強化月間でした。


まずは6月16日放送にしました

NHKジャーナル  特集がんシリーズ


私のはインタビューや

おしゃべり会に集まってくれた

サバイバーの声や思いを

ラジオに乗せて届けてくれました。


何回も何回も繰り返し聞きました。

私自身の中ですごく思い入れのある

ラジオ番組です。





つづいて、B-FM はぐくむたまご


徳島新聞で連載していた記事で

はぐくむたまごさんを知って

連絡させていただいたのがきっかけでした。


がん治療が原因で将来の妊娠や出産への

ハンディを背負うようになるかもしれない。


そのような事実があることを

たくさんの方に知っていただけたら

いいなぁと思います。


ちなみに、

この収録は7月に放送ですよ!!


毎週木曜日  16:30、20:30


ぜひお聞きくださいね(・∀・*)




そして最後は6月26日に出演

させていただいたB-FM

B-STEP  TALKING


はぐくむたまごの佐藤さんからの

ご紹介で出演させていただくことに‼


1時間という長い時間で

私の体験や思い、そしてSister

についてお話をさせていただきました。

B-STEP  TALKING

再放送は7月3日夜10時からです‼

おもしろ話もあるのでぜひっ(  ̄▽ ̄)




なぜかラジオ取材が重なり

初めてのことだったので

ドキドキしたりワクワクしたり。


テレビと違い声だけの収録・放送

だったので「見られてる感」がなく

さほど緊張せずに自分の思いを

伝えることができたように思います。

(たくさんNGだしましたが…)



台本がなく自分の思いをその時に伝える。

改めて難しいことであると感じました。


あるていどはNHKジャーナルの際の

事前取材の時にこれまでのことを

振り返ることができていたので

自分の思いや考えをクリアに 

することができていました。





6月はたくさんの学びや出会い

があり充実した時間となりました。


みなさん、ありがとうございました。


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Special Thanks

NHKジャーナル

お聞きくださってありがとうございました。



限られた時間の中で、サバイバーとしての

私の思いがたくさんつまった、素敵なラジオでしたね。




また1週間通して、さまざまな取り組みやサバイバーさんが紹介されてました。

たくさん考えさせられる内容ばかりでした。

今年になってたくさんの出会いがありました。

その度に出会った方と素敵な対話をすることができ、

この5年間の思いを振り返る機会になりました。

止まっていた時間が少しずつ動き出した実感がします。




若年性乳がんという、小さな小さなスポットに光を射してくれ、

取り上げてくださった担当アナウンサー様に感謝いたします。


また取材協力してくれたサバイバー仲間達にも感謝です。



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NHKジャーナル

素敵なラジオのお知らせです!!



ギリギリ告知になりましたが、

明日16日(金)夜10時からの

NHKジャーナルにて紹介されます(・∀・*)


NHKジャーナルでは今週1週間

“特集がんシリーズ”というコーナーを

されており、その最終日に

インタビューの様子が流されます。

また、3日に開催したおしゃべり会での

インタビューも放送されます♪♪♪



インタビューに協力してくださった参加者の方々、

長い間、取材をしてくださったアナウンサーさん

本当にありがとうございました(*^^*)


たくさんの人の思いがいっぱい

つまった素敵なラジオになってますので

ぜひお聞きください。



聞き逃した方もストリーミングで

聞けるそうなので期間中

毎日のように聞いてください(笑)

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FMシアター 私は“サバイバー”

素敵なラジオドラマの告知です❤️


四国羅針盤を担当してくださった

ディレクターさんが作った

ラジオドラマが放送されます。




FMシアター  私は“サバイバー”


7月1日(土)   夜10時~

このラジオドラマを作成するにあたり

ディレクターさんは脚本家さんを

連れて徳島に来てくださりました。


四国羅針盤の時の取材とは

少し違った話をしました。


病気になった時の話もそうですが

仕事や恋愛の話を主に❤️



これまでに取材してきた

女子がんサバイバーさん達が

モデルになったラジオドラマ。



仕事も恋も…

がんを言い訳にしたくない!



きっと聞いたみなさんが

力強くなれるラジオドラマだと思います。


ぜひ聞いてみてくださいね‼️


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5回目おしゃべり会でした

今日は第5回目のおしゃべり会でした。


去年の11月からおしゃべり会を

始めて、はや5回!?


当初はこんなに継続して、

おしゃべり会を開くことができるとは

思ってもいませんでした。


でも、参加してくださる

仲間のおかげで続けてこれました。






実は今回、ラジオ放送のための

取材もはいってました📻


参加者のみなさんには

ご協力していただき

ありがとうございました😊💖


いつもはフリートークで

主に恋愛話が多いのですが

改めて仕事や治療のこと

これまでの辛かった気持ちを

みんなでシェアしました。




最近は回数を重ねる毎に仲良くなって

何でも話せるようになったので

がんとわかった当時の話や

治療の話は後回しになってました。


でも、改めて、その時の思いを

振り返り、人に伝えることで

自分がどんなふうに変化したか。

これからどういう風に

生きていきたいか。

考えるきっかけになったような

気がします。




治療が落ち着いたから。


5年たったから。




それだけでは、辛かった気持ちは

消えてはくれません。


私は、苦しくても言えなかった気持ちを

こうして話すことができたことで、

誰かに聞いてもらったことで、

苦しかった気持ちを受け止めてもらえたことで

ようやく歩き始めることができました。


もしかすると私は

乳がんと宣告を受けた時から

時間が止まってたのかもしれません。




5年たってようやく

自分の病気と向き合い

受け入れることができ

前を向いて歩きだすことができました。




それも、こうやってSisterを立ち上げたことがきっかけで出会えた、繋がることができた方たちのおかげです。


参加者の方がインタビューの際に

おしゃべり会に参加しての

感想を話してくれました。


今まで私はみんなに改めて

聞いたことがなかったので

すごく嬉しくなりました😊


続けてきてよかった。

みんなと出会えてよかった。


心からそう思えました。



そして記念すべき(?)30歳を迎えた私へ

バースデーメッセージを

いただきました🎂




お互い元気に 1才1才 生きていきましょ




心強いメッセージです。


1人じゃないんだ。


そう思ったら涙が出てきました。




みんな、本当にありがとう。




これからも、のんびりとSisterを

運営していきます。



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ありがとうございました❤️

みなさん、金曜日に放送しました

四国羅針盤を見てくださって

ありがとうございました。



たくさんの方から連絡を頂きました。

私のインタビューを見て

いろんな事を感じていただけて

本当に嬉しいです。

人には話したことのない内容でしたので、

驚かれてる方もいたようです。



がんサバイバーみんなに通じるものもあれば

若年性サバイバーだけに通じるものもある。

また、乳がんサバイバー独自のものもある。




辛い思いをしない方なんていません。

悲しい思いをしない方なんていません。


前を向いて歩いてる方もいれば、

私のように5年たった今でも

自分の病気が受け入れられず

立ち止まってる方もいます。


メディアに出てらっしゃるサバイバーさんを見ると


「強いなぁ。」

「明るいなぁ。」

「すごいなぁ。」

と感じることが多いと思います。


私もそうです。

自身でコミュニティを立ち上げたり

会社を立ち上げたり。

国の機関と共に活動されたり。


そのような方を見て

「自分はなんてダメなんだ。」

「どうして自分は前向きになれないんだ。」

そう感じてします。



誰もが自身の病気を受け入れ

前を向いて歩いてるわけではありません。


私もそうだからです。


だから、あえて私はインタビューの

中で強がっている自分を出すのではなく

弱い自分を出しました。

いじっぱりで。

人には弱い部分は見せたくない。

みんなが「強いね、明るいね。」

そう言ってくれるから

頑張っちゃう。




みんな、そうじゎないかな?




でも、最近、色んな縁で出会った方に

自分の弱い部分を見せたことで

自分自身が楽になった気がします。




強がってた自分が恥ずかしく

誰にも言わなかったことがバカみたいに

感じるくらい。



「言ってもわかってもらえない。」

「がんじゃない人にはわからない。」



そういう風に思っていましたが

世の中は広いです。


がん患者でも、わからない人はいます。

医療従事者でも、わからない人はいます。

親や兄弟でも、わからない人はいます。



でも、

がん患者じゃなくても、わかってくれる人はいます。

性別や年齢が違ってても、わかってくれる人はいます。

言葉や文化が違ってても、わかってくれる人はいます。



自分の辛い思いを相手に伝えてみないと

わかってもらえるかどうかわかりません。


時には勇気を出して伝えても

わかってもらえず傷つくこともあります。


でも、きっと

わかってくれる人に出会えます。

少しの勇気で誰かに伝えてみてください。



私も傷つきながら、これまできました。

そして、受け止めてくれる方と

やっと出会うことができました。

四国羅針盤を見てくださった

サバイバーさん達に


ひとりじゃない。

みんな同じ思いで生きているんだ


みんながみんな強くない。

弱い自分も認めてあげてほしい。


そんな私なりの思いが伝われば幸いです。




今回の放送に関わっていただいた

全ての方々に感謝いたします。


ありがとうございました。

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訂正☆四国羅針盤

四国羅針盤の内容訂正があります‼




番組タイトル

"がんとの共生"を支える

~子育て・働きざかり世代~


午後7時30~午後8時



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四国羅針盤

お待たせいたしましたーーーー❗❗❗



以前、NHK松山さんから

取材を受けた番組の放送日が

公開されました👏👏👏


四国羅針盤


"働きざかり"のがん

~暮らしをどう支えるか~


5月26日(金)

夜7時30分から放送

担当してくださったディレクターさん

がんサバイバーの思いがたくさん

つまった番組です✴



ぜひご覧下さい❗❗❗


私もちょこっと出てます😁🎵

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Sister × アカカタバミ

 

2月から徳島新聞朝刊で連載していた

『ママになりたい 不妊治療の現状』

毎日色んな事を考えながら読んでいました。

 

そして8回目の連載で目に留まったのが

流産や死産などによって子どもさんを亡くされた親の会『アカカタバミの会』でした。

 

昨年発足したということ。

同じような境遇の人たちがお互いに支え合っていける場を作りたい。

 

記事を読んで思わず代表の方にメールを送りました。

私自身も若年性乳がんサバイバーであること。

昨年Sisterを発足し活動していること。

そして将来家族を持つということへの希望と不安。

 

 

 

そしてメールで連絡を取らせていただくようになり、昨日、お会いさせていただきました。

 

お1人で会を運営されており、私も同じようにSisterを運営しているので、

一人ならではの苦労や悩みを共有しました。

子どもさんを育てながらアカカタバミの運営までされているなんて、

すごくパワフルです!!

 

 

私自身、結婚もしていなかれば、出産・子育てもしていません。

そんな私ですが、代表の方は自身と子どもさんに起こったできごと。

その時の悲しさ、苦しさ。

そして今でもその辛さを抱えながら生活を送っていることを話されました。

 

 

県外の施設では死産で産まれてきた子どもさんの足形や手形を取ったり、

その子どもさんがお腹の中で生きた証を残してくれるところも多いそうです。

しかし県内では、そのようなケアが浸透しておらず、代表の方の子どもさんも

何も残してあげることができなかったと話されました。

 

その証があることで、先に進めない。

と、いう考えが優位になっているようです。

そして日本での死産に対する扱い。

 

 

『なにも残ってない。』

その一言に胸が締め付けられ、話を聞きながら涙がでました。

 

 

これから私自身も、家族をもつということが、近い将来くるかもしれません。

その時に、自分のお腹にいて、一緒に生きていた我が子が、存在すらしていなかったように

扱われるのはとても悲しいことです。

私には想像もできないような辛さ、悲しみを乗り越えて

子どもさんを育てていらっしゃる代表の方は、本当に強いなぁと感じました。

 

母は強し!!

 

という言葉があるように、そのような辛い経験をされたなんてわからないほど、キレイでたくましくて強い女性だと感じました。

 

しかし、その中で今でも葛藤があったり辛い気持ちをだせない現状がある。

だからアカカタバミの会を発足させ、同じような境遇の方への支援を行っているのだと。

今では死産で産まれてきた子どもさんへの小さな小さなベビードレスを手作りし、活動に対しご理解のある施設へ寄付しているそうです。

 

 

上の写真はアカカタバミさんのブログから頂きました。

お庭に咲いている、アカカタバミの花です。

花言葉は『喜び』『私はあなたとともに生きる』

 

下記はアカカタバミさんのポスターより引用させていただきます。

 

2015年10月に子どもを死産で亡くしました。つらく悲しい思いを語れる場もなく、一人で悩み続けていいた中で、インターネット・ブログ検索により、同じ経験をされた方と交流し、優しい言葉をかけてもらったり、経験した人以外では理解しがたい想いを打ち明けたりすることで、心が救われることがたくさんありました。
その中でひとつの想いがふくらみました。それは、流産・死産・新生児の死でお子さんを無くされた家族が同じ経験した人同士で互いに想いを語れる場、寄り添える場をつくりたいと強く願うようになったのです。そして、それをきっかけでアカカタバミの会を立ち上げようと思いました。一緒に語らい、気持ちを分かち合えることで辛い気持ちから産まれてきてありがとうという気持ちへと変わってくると嬉しいなと思っています。
子どものこと、身体のこと、何でも結構です一人で悩まず私と一緒に泣いたり、笑ったりしながら、語らってみませんか。

 

 

実際にお会いさせていただいて、本当によかったです。

 

私やアカカタバミの代表の方が経験した事は、

同じ境遇の人しか理解してもらえない。

経験してない人にはわかってもらえない。

 

当事者はどうしてもそう思いがちで、自分の苦しさを人に言えない事も少なくありません。

 

でも、今回、当事者同士じゃなくても、経験した辛さや苦しみはわかってもらえるんだ。

そう思うことができました。

 

本当にありがとうございました。

そして可愛い可愛い子どもさんも、

長い時間一緒にお付き合いしていただき、ありがとうね♡

 

アカカタバミさんの活動予定はブログでお知らせしています。

同じ経験をされた方に、アカカタバミさんを知っていただきたいです。

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1さいと30さい

5月1日。

Sisterは1才を迎えました🎂

そして私は30才を迎えました🎂




昨年5月1日、Sisterを立ち上げました。


一緒に運営してくれる人もいない。

若年サバイバーが集まるかどうかわからない。


不安の中、半年間の準備期間を経て10月に講演会。

そして11月からおしゃべり会を開いてきました。


嬉しいことに初回のおしゃべり会から集まってくれるリピーターサバイバーもでき、プライベートでも連絡を取り合うようになりました。


今までの同世代のサバイバーが近くにいなくて、その時々での悩みや不安を誰にも言えないまま治療が終わり、それでもこれから先への不安は増すばかり。


そんな自分がSisterの存在を1番嬉しく思っているのかもしれません。

なぜSisterの立ち上げ日を自分の誕生日にしたのか。



それは自分が生きた証を残したかったからです。

25歳でがんになった私が、一生懸命生きた証。


がんになっても、いい人生だったと思えるために。


もし私がいなくなってもSisterはいつまでも残っていてほしい。


そして私のことを覚えててほしい。


そんな思いから自分の誕生日にしました。



Sisterを作ってからいろんな方とお話しする機会も増えました。


新聞社やテレビ局の方々。

医療従事者の方々。

議員さんや行政の方。


自分のこれまでのことを話すことも多くなり、人に聞かれてはじめて、その時々の思いを冷静に振りかえることができました。


ずっと蓋をしてた思いを出すことは、すごく怖いし抵抗があります。


でも、自分が思っている以上に、周りの方は優しく、温かく、そして私たちサバイバーの思いをたくさんの人に伝えたいと思ってくれてます。


その思いがすごく嬉しいです。

これからもいろんな事があるかもしれません。


いいことも。


わるいことも。


でも、Sisterで出会った仲間がいるので、心強いです。


まだまだ、未熟な私とSisterですが、よろしくお願いいたします😊❤


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へんか

こんばんわ。

徳島市内にも大型ショッピングモールがオープンしたりと、すっかりゴールデンウィークの風が吹いてきていますね。

私の周りにも、行ったよ!という方がたくさんいます。

 

 

そんな中、私はというと、色んな方とお会いしていました。

テレビ撮影がきっかけに、サバイバー以外の方に自分のことをお話する機会が増えました。

これまでは、頑なに口を閉ざしていました。

 

知られたくない。

言いたくない。

言って何になる?

 

同じサバイバーにですら言えず、心の奥底に沈ませていることもたくさんありました。

でも、そんな私の気持ちが変わり始めているようです。

それは、若年性がんに関心をもってくれ、それが縁で繋がった方の存在があります。

 

 

2時間、3時間の対話の中で、硬くなった心が柔らかくなるような感覚。

乳がんと宣告された時の気持ち。

治療中の不安な思い。

そしてこれからへの不安や願い。

誰かに聞かれないと、自分自身でも振り返ることができなかったこと。

温かな言葉で問われることにより、自然と当時のことを思い出し、言葉にできました。

 

 

自分でも、当時はこんな気持ちだったんだ。

これから自分はどうなっていきたいのか。

色々考える機会になりました。

 

 

私のような若年性がんサバイバーに対し、マイナスのイメージしか持っておらず

接することで深く傷つくこともあるなかで、今回お会いした方のように

リアルな声を聞き、みんなに届けてくれようとしている。

その姿に心があたたかくなりました。

 

そんな私にしてくださって、ありがとうございます。

 

 

 

私のこれまでの経験や言葉がお役にたてるなら、ご協力させて頂こうと思います。

みなさんにご報告できることがありましたら、ブログでお伝えしますね。

 

 

 

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第4回おしゃべり会開催しました‼

4月15日、第4回おしゃべり会を開催しました‼

今回は3名の方が参加してくださりました。

リピーターさん2名と初参加の方が1名。

2時間のおしゃべり会が短く感じるくらい、おしゃべりに花が咲きました🌼

 

 

 

みなさん手術した時期が近かったり、同じようにホルモン療法を行ってる方ばかりだったので

ホルモン療法の副作用について話題に挙がりました。

私はホルモンレセプター陰性なので、みなさんのお話を聞きながら

「へ~!!」

「そうなんだ!!」

と、知らないことばかりで、新たな知識を得ました。

 

肩こり、倦怠感、偏頭痛・・・。

抗がん剤と違って、周りの人からは目に見えない副作用。

体調がイマイチで仕事が辛くてもわかってもらえない。

大げさに気にしてもらいたくはないけど、わかってもらいたい。

切実な思いです。接骨院に通われたり、日中に副作用が出現しないよう

お薬を朝ではなく夕方に飲むという方法もあることを話しあいました。

 

 

 

そして、最も盛り上がった話は『恋愛』

やはり女性ですね!!

毎回おしゃべり会の時に話題として挙がります。

前々回の時に「婚活がんばろうね!!」と、お互いに喝を入れ、

私を含めたフリー3人は本当に婚活パーティーに参加したり

合コンに行ったりと行動に移しておりました!!

 

しかし素敵なパートナーとの出会いも赤い糸・・・。

道のりは長いねと深いため息。

私の婚活パーティーなんて笑いのネタになってます。

 

アラサー世代。

周りから結婚や彼氏についてよく聞かれる年代です。

彼氏がいないと言えば、周りから言われるこの一言。

「理想が高いからじゃない?」

 

私たちサバイバーはどうしてもパートナーに求めたい事があります。

 

もしも再発や転移が見つかり自分自身で就労ができなくなったり、

家事ができなくなっても支えてくれる人。

 

もしかすると子どもを産むことができなくても一緒にいてくれる人。

 

これらを望むことは、周りからすれば高い理想なのでしょうか?

身の丈に合っていない理想なのでしょうか?

「そんないい人なんていないよ~」と言われることでしょうか?

 

 

 

こんな思いをシェアできたのも、同年代のサバイバーだけで集えたからこそだと思います。

4年前、乳がんと診断された当時の私が、こうやって恋愛の話ができる日がくるなんて

思っていたでしょうか?

当時はこれから始まる治療のこと、予後のこと。

それで頭がいっぱいいっぱいで、辛くて苦しくて。

でも、こうやって今では仲間と共に恋愛話をして未来を見ている自分がいます。

手術の傷の痛みと同じように、ある程度は、心の苦しさも月日がたてば

緩和されていくこともあるんだなぁと実感。

 

 

 

初めて参加された方から、

闘病した者同士しか共有できない想いがあり、自分も経験したからこそ

分かることがいっぱいあった。

おしゃべり会を企画していただけなかったら、こんな出会いは無かったと思う。

嬉しいお言葉を頂くことができました。

 

私はあくまでも、サバイバーが集まれる場の企画だけです。

当日集まってくださったみなさんが、その時間を有意義なものにしてくださってるのです。

本当に感謝です。

 

 

 

次回おしゃべり会は6月頃に予定しています。

企画し次第お知らせいたしますので、チェックしてくださいね。

 

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