聖路加サマースクール2018

 

 

今年も参加しました。

 

聖路加サマースクール。

 

今年のテーマはHBOC and Beyond

 

たくさんの気づき、学び、想いで溢れました。

 

今年で4年目の参加、元気に毎年参加できるのが励みでもあります。

 

充実した2日間でしたが、やはり私も1人の若年性乳がんサバイバー。

 

色んな気持ちが心の中でグルグル回りました。

 

 

“遺伝”のことを聞いて内心穏やかではありませんでした。

 

私は乳がん発症当時25歳。HBOC:遺伝性乳がん卵巣がんの拾い上げに該当します。

 

でも当時はお金もなかったし、乳がんになった後で調べて何になる!!ということで遺伝子検査はしませんでした。でも、ここ数年で親戚に乳がん患者が・・・。このことで、自分にHBOCが少し濃厚になってたように感じました。サマースクールを終えて遺伝子検査を受けようかどうか悩んでいます。

 

 

 

もしも遺伝子のバリアントが自分に見つかったら…。

 

予防的乳房切除??
予防的卵巣卵管切除??
それとも経過観察だけにする??

 

 

 

HBOCの場合乳がんのリスクだけでなく、卵巣癌のリスクも抱えていることになります。

検査をしても見つかりにくくて、わかったときには進行してることが多い。遺伝が原因でなった卵巣の場合、再発率も高くて予後も悪い。

 

 

 

今の私には遺伝子のバリアントが見つかっても受け入れることができないかもしれないです。

 

乳がんになったことだけでもショックで、未だに受け入れたくないのに、それにプラス、対側乳房もがんになるかもしれない、そして卵巣がんにもなるかもしれない。

 

怖すぎる。

 

これから先、どんなに健康的な生活をしても自分はがんになってしまうんだ。

 

今のこんなに楽しい時間は続かないんだ…。

 

きっとこんな思いが巡ってしまう。

 

 

 

それなら、リスクを恐れてこれからずっと生きていくよりも、知らなくて、なったらその時!!‼️って思う方が気持ちが楽じゃないかと今の自分は思っています。

 

バリアントがあったら、発症しなくても、あるいみ、2度目のがん告知。

 

なることよりも、なるかも知れないことを知りながら生きる方が恐い。

 

でも何かのきっかけで今後、遺伝子検査を受けることを考えてもいいのかなって、今は思っています。

 

どんな結果が返ってきても自分で受け入れることができるようになってからでも遅くないよね。

 

 

遺伝子検査、私の勤務する施設ではしていません。

 

なので今回のセミナーは知識全くの0で参加しました。そして自分自身も遺伝子検査を受けていなかったので、関心も薄かったです。

でも、知っておかなければならないトピックスなんだなって改めて感じました

 

 

 

乳がんの分野において遺伝子検査は、ただたんにオラパリブが適応するかどうかの検査のように広まっています。

 

 

オラパリブ:がん化学療法歴のあるBRCA遺伝子変異陽性かつHER2陰性の手術不能又は再発乳癌の治療薬として適応が拡大しました。

 

再発乳がんサバイバーは最後の望みをかけて遺伝子検査を受けます。

 

「陽性であるように・・・」

 

でももし陰性だったら・・・。

 

逆に陽性だったら・・・。

 

それぞれ、考えないといけません。

 

 

 

陽性であった場合、自分以外の家族に結果を伝える??
(自身の兄妹や子どもにもリスクを抱えているかもしれません)

 

家族は結果を知りたいかどうか??
もし結果が出るまでに自分がいなくなったら
誰がどのように伝える??
それとも結果は葬る??

 

 

 

初発の人のように再発転移の人は時間がありません。

 

だけど、検査を受けるにためにたくさんの事を考えて決断しなければならない。
時に失望、自責の念を抱えることになることだってある。

 

 

 

そういう時にチームでどう支えるか。
とっても難しいなぁ

 

『知る権利』 『知らない権利』 

 

それぞれの権利を持っています。

 

自身がどうしたいのか。どうありたいのか。

 

それによってどっちの権利を自分は選ぶのか。

 

医療従事者としてリスクとベネフィットをしっかり伝えて、患者が自身でよい選択ができるようにサポートしないといけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

もっともっと勉強するとともに、私も自分自身のことを考えていかないとね。

 

 

 

来月で術後6年目。

 

新たなステージへステップアップ目指さねば!!

 

 

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セミナーの後に銀座に遊びに行くとスパーダ―マンがいました。