未来の行方

 

 

 

まさか乳がんから命を救うための抗がん剤治療で、将来、子どもを産むことが難しくなるかもしれないなんて思ってなかった。

 

 

2012年25歳の時に乳がん患者となり、あれよあれよという間に検査・手術を行い、これから仕上げに抗がん剤治療を行うことになりました。

その際に、主治医から一般的な副作用の他、卵巣機能が低下し将来妊娠することが難しくなるかもしれないと告げられました。

でも今ある妊娠する力を残す方法があることも説明されましたが、当時の私は

【時間なし】【金なし】【彼氏なし】の三拍子が揃っていました。

なので、治療が終わってからの自分の体を信じて治療に臨むことにしました。

 

将来子どもを産める体より、再発なく元気に過ごすことのできる体を守るほうが

今の自分には必要だと思いました。と、いうよりは、自分が家族を持つというイメージがまだまだ湧かなかったということもあります。

抗がん剤をすればすぐに生理が止まると思っていましたが、実際は違いました。EC4クールが終わり、パクリタキセルとハーセプチンの併用が始まりましたが、すぐには生理は止まりませんでした。

 

「私、若いから、もしかすると生理、止まらないかも!」と変な自信まで持っていましたが、ついにその時は来ました。

抗がん剤を始めて約半年。ついに止まっちゃいました…。

毎月の腹痛、煩わしさから解放されたのは、とても心地いいのですが、当時の私は【生理がある=妊娠できる】と思い込んでいたのでガッカリしました。

生理が止まってすぐの頃は、さほど気にもせずに生活していました。

 

 

治療もハーセプチンだけになり、暖かい春になり、外に出かける時間も増えだしたころ、街中で小さな子どもと手をつないだ家族の姿、大きなおなかを愛おしそうな顔で見ている妊婦さんが目に入るようになりました。

治療も折り返し時点、髪の毛も少しづつ生えてきて、抗がん剤の副作用が抜け出しているのに、心だけはどんどん重く、苦しくなっているのを実感しました。

 

 

自分の目に映る他人が、私が将来歩みたかった人生を歩んでいる。

乳がんにならなかったら、自分も今頃…。

なんで私だけ…。

 

色んな思いが炸裂し、不安定な日が続きました。

夜も寝れない、不安な気持ちでいっぱい、訳も分からなく涙が出る。

友達の妊娠・出産報告、妹の妊娠ですら疎ましく感じていました。

そんな気持ちになっている自分に嫌悪感を持って、また落ち込む。

 

 

「将来の妊娠する力を残すために今、何かできないのかな?」

そう思い、主治医に相談して他の医療施設に紹介してもらうことにしました。

 

紹介状を握りしめ、約3時間は待ちました。

周りにはお腹の大きな妊婦さんもたくさんいました。

見ると羨ましく疎ましく感じるので、目をつぶって待っていました。

 

 

ようやく診察室に呼ばれました。

入ってすぐに婦人科検診をすると言われたので、術後すぐに子宮頸がん卵巣がんの検診を受けたことを伝えると『じゃあ、今日は何をすればいいん?』と、一言。

ここを受診するまでの経緯を伝えると、具体的な数字を出して教えてくれました。

私は不妊治療に関する知識が無かったので、もし生理が止まったままになった場合、子どもを産むことはできるのか?詰め寄るように必死になって質問をしました。

最後にはその医師は、必死になってしゃべっている私に手でストップをかけ、面倒くさそうにため息をつきながら、椅子に背をもたれ『半年たって生理が戻ってこなかったら妊娠は諦めなさい。』と言いました。その言葉がショックで、すぐに診察室を出て、駆け込んだトイレの中で大泣きしました。

 

 

その後、その医療施設にいる緩和ケア認定看護師さんとお話する機会がありました。あまりにもショックだったので、誰にも話したくなんかなかったけど、友人の紹介だったので会うことになりました。

まずはじめに、この前の出来事、すごく辛かったことを告げると、その看護師さんは『私も同じ立場だったら、一番にそのことを心配する。』そう言ってもらえたので、少し気持ちが軽くなりました。

そして色々と話していると、『そういえば、彼氏おるん?』

結婚の予定もなければ、彼氏もいないことを伝えると

『まずは、そっからだよね』

この一言が、とどめの一発になりました。

 

きっと何気ない一言だと思います。

でも当時の私にとっては、結婚もしていない、ましてや彼氏もいない私は将来子どもを望む権利はないのだろうか?という気持ちになりました。

励ましのつもりで掛けてくれた言葉かもしれません。

でも私はその一言で、妊娠や出産に関する悩みを誰にも言えなくなったのです。

昨年、ふとしたきっかけがあり、ようやく言えるようになりました。

周りの人からは『若いから大丈夫』だなんてよく励まされます。でも、抗がん剤をすぐと卵巣は今より10歳としをとると言われいます。

私の生殖機能は35歳。一般的にみても、この年齢になると一気に自然妊娠が難しくなります。

それでも私に『若いから大丈夫』なんて言葉が合うのでしょうか?

 

治療が終わったから

若いから

 

それだけで、サバイバーの誰もが結婚し妊娠・出産を経験できるとは限りません。

 

がん患者の妊娠・出産に関する研究もだいぶん進んできはじめて、色々な書籍も出版されています。

正しい知識・情報がもっともっと広まり、妊孕性温存、生殖医療がもっと発展し、若いサバイバー夢や希望をもって治療に臨めるようになればいいなぁと思います。

 

最近になって私も“家族をもつ” “自分の人生のあり方”ということはどんなことなのかを考えるようになりました。乳がんになり将来の妊娠や出産に絶望を抱いていた時は、自分が子供を産むことだけを考えていました。

でも今は、たくさんのサバイバーの生き方を目の当たりにし、自分が子供を産むということにこだわらなくてもいいんじゃないかと考えるようになりました。

 

たとえば…

 

シングル

夫婦2人、夫婦2人ペットを子どもに

事実婚

子どものいる男性と結婚する

養子を迎える

もちろん自分が出産する

 

私にはまだまだたくさんの選択肢残っているのだと気づきました。

そう悲観的にならなくても、たくさんの選択肢が。

こういう風に考えることができるようになるまで時間はかかりました。

 

でも将来少なからず、自分には子どもが産めないかもしれないという事実を受け止め、そうなった場合の自分の人生のあり方を考えなければいけません。

もし、そうなったとしても、私の人生は真っ暗ではない。

どんな人生でもキラキラしていると信じています。